・山がはに添ひゆきしかば遠じろと瀬の白波の常(とこ)うごき見ゆ・
「暁紅」所収。1936年(昭和11年)作。
まず語註から。
「山がは」(=山川・谷川)、「瀬」(=川や海の深さの浅い場所)、「常(とこ)」(=常に、普段に、永遠に)。
読むにあたって用語の古さを難ずる愚は避ける。「谷川に沿っていったところ遠くに白く瀬の波がとどまるところをしらぬように動いている」というのが凡その歌意だ。
まず上の句で作者の位置を明確にし、「遠じろ」で遠近感・奥行を出している。何の変哲もない作品だが、茂吉の短歌の特色のひとつ、「立体感のある表現」を表している。「近代の『写生』を遠近法で世界を捉える方法だと思うようになった」とは佐佐木幸綱の言葉だが、その遠近感・立体感がよく出ている。叙景歌を作ったことのある人間なら、このむずかしさが分かるだろう。
佐藤佐太郎、長沢一作、塚本邦雄ともに詳しくとり上げていないが、背景説明はしている。
「昭和11年秋、木曽福島で講演したついでに森林鉄道で木曽渓谷に遊んだ歌が未発表のまま歌集「暁紅」に、たくさん収められている。未発表というもあって、歌は見たところを写すに急で、一首一首の密度はやや希薄かも知れないが、さすがにどれも自在である。」(佐藤佐太郎著「茂吉秀歌・下」)
「この年、10月16日、木曽福島で講演し、ついで王滝に至り、さらに各地をめぐっている。・・・また12年前、島木赤彦と共にここに遊んだときを回想している歌もある。」(長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」)
また塚本邦雄も「茂吉秀歌・白桃~のぼり路まで・百首」のなかで木曽谷の一連に注目している。
佐藤佐太郎がいうように「自在さ」がこの時期の茂吉短歌の特徴のひとつだ。この描写力が負のほうへ傾けば「戦争詠」になるし、抒情詩の深まりのほうへ傾けば短歌史に残る「最上川の一連」につながる。だからこの作品は「最上川の一連」の伏線のようなものだと僕はおもっている。
なお島木赤彦と茂吉との関係は、岡井隆著「茂吉の短歌を読む」に分かり易く叙述されている。