僕は「運河の会」と「星座の会」の両方に所属している。どちらか一方という人が多い中でなぜか、と疑問に思う人もいるようだが僕にとっては「車の両輪」。といっても抽象的なのでその話を少し。
二つの「短歌結社」に所属する人は少なくない。その人たちにもそれぞれ理由があるのだろう。勿論それがなぜかは分からない。しかし僕の場合は事情が少し違う。それは二つの雑誌は性格が違うと考えていることだ。
「運河」は会員制の短歌雑誌であるのに対し、「星座」は<かまくら春秋社>が発行し会員が短歌を投稿できる総合文芸誌。「運河」は「齊藤茂吉と佐藤佐太郎の歌論と実作に学ぶ」という共通目標があるのに対し、「星座」は「美しい日本語をとりもどす。そのために短歌を通して言葉を鍛える」という目標がある。このブログの記事に<国語教育><英語教育><日本語論>のカテゴリーのものがあるが、これらは「星座」に投稿したものと、そのために準備したものである。
西暦2001年初頭、鎌倉の海岸に人々が集まり、大きなかがり火を焚いた。与謝野鉄幹・晶子の故事に倣ったと聞いた。短歌を詠みはじめて三年目の僕もお誘いを頂いた。思えばこれが「星座」の発足の集まりだった。仕事のためこの「イベント」には参加できなかったが、筆名で雑誌の創刊に参加させて頂いた。
「美しい日本語の復権を。雑誌の創刊に参加できる機会はなかなかありません。あなたも星座の星の一つになりませんか。」
これがある日の批評会の席上、尾崎左永子主筆(そのときは創刊前だったので主筆ではなかったが)から直接いただいたリーフレットの文面だった。
「星座」という命名。「明星」を意識してのものと僕は思っている。二年ほど前に二松学舎大学の故今西幹一氏から突然メールを頂いた。「大学国文学会」の大会に参加しないかというお誘いだった。大会の記念講演は日本歌人クラブの後援だった。僕は一日目の記念講演と二日目の分科会に参加した。
分科会での発表のなかに、「第二次明星と冬柏」というものがあった。「与謝野晶子は休刊と復刊を繰り返しつつ総合文芸誌をめざした」との内容だった。
2001年1月のかがり火も与謝野鉄幹・晶子に倣ったもの。「かがり火=明星=星座=総合文芸誌」が僕の心の中で結びついた。そして「星座」という雑誌のなかで、短歌は言葉の問題を考え磨くためのものという位置づけであることもはっきり自覚できた。
西暦2001年のかがり火はただのイベントではなく大規模な「言挙げ」だったのだと今は思っている。
それを引き継いだのが「星座α」である。