岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

星座α20号より作品批評:斎藤茂吉と佐藤佐太郎の歌論に学んで

2020年04月15日 21時32分01秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
星座α20号より作品批評

実感のある歌を

 短歌は定形の現代詩、抒情詩。求められるのは表面的な気分や感想ではない。そのためには何よりも実感のある歌の創作を。「星座α」が季刊になりに当たり、自分自身の中で問い返している。

・(決断の歌)

 何の決断かは言わなくてもよい。ただ、作者の並々ならぬ決意があり、思い切った判断をする時期が近付いている。下の句が上の句とは直接繋がらない疎句になるが、強烈な抒情で上の句と下の句が結合している。

・(減反された水田のある町を歩く歌)

深刻な農業問題。離農する人が相次いでいるのだろう。その変化に作者は心を痛めている。下の句の「蝉の骸」がその心の形を表現している。痛切な思いの伝わる一首。

・(親族が逝って涙する息子の歌)

 人の死、とりわけ肉親の死は悲しいものだが、おそらく普段は元気な息子が泣いている。作者も思いは同じだろう。「濃霧の朝」これは心の晴れない作者親子の「心の形」であろうか。

・(被災地の息子の無事を確かめる歌)

・(首里城の柱が燃え上がる歌)

 一首目、自然災害。二首目、沖縄の首里城炎上。社会問題を題材にしているが、そこには人間が登場する。それが息子であり、首里城をアイデンティティの象徴と考える沖縄の人々である。社会的事象を詠っているようで、実は人間を詠っているのだ。後者は一首の独立性からみて再考の余地はあろうが、擬人法が無理なく効果的に使われているのでとりあげた。

 作品批評にあたり、多くの歌を割愛した。

 人間や、社会への愛しみ。抒情の原点と考える。




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