岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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旧日本軍の編成

2022年10月02日 18時13分16秒 | 歴史論・資料
     【戦時に編成される、より大きな集団単位】

日中戦争が始まると、作戦ごとに二つ以上の師団、あるいは師団の一部を集め一時的な集団が編成された。これが「軍」で、戦争の拡大によってさらに「方面軍」、さらに「総軍」が編成された。

 「軍」
 戦時には複数の師団によって「軍」が編成され侵攻作戦をおこなった。上海戦を例にすると上海派遣軍が編成され最終的には第三師団、第九師団、第百一師団、藤重支隊によによって編成され、十万人の規模と言われる。また、これとは別個の複数の師団によって『第10軍』が編成された。

「方面軍」

 さらに戦争が激しくなると複数の「軍」で「方面軍」が編成された。南京攻略時を例にすると、20万規模と言われる。

 「総軍」

 中国侵略が全面化すると複数の「方面軍」が編成され、支那派遣軍は100万人規模の集団となった。

 1945年時点では、

・支那派遣軍、南方軍、関東軍、第1総軍、第2総軍、航空総軍があった。
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では「関東軍」とは?

もともとだ満州鉄道を警備する、小規模の警備組織だったが、最終的の兵力74万人以上達した。

 総兵力990万人以上の兵力が動員された。(引揚船の人数)
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「分隊」最小単位で、10~15名の兵士で構成。
「小隊」歩兵分隊3~4個で構成され50~60名規模。小隊長は少尉が務める。
「中隊」小隊3~4個で中隊が構成され、150~250名の規模。中隊長は大尉が務める。

「大隊」歩兵中隊3~4個で構成、大隊長は少佐が務める。
 将校22名、下士47名、兵卒480名、各部11名。総計560名が定員。

「連隊」歩兵中隊3~4個で構成。連隊長は大佐または中佐が務め。将校70名、准士官下士145名、兵卒1140名、各部66名の総計1721名、軍馬14匹が定員。

「旅団」2つの連隊で構成。旅団長は少将が務める、また、日中戦争後期には、複数の連隊で歩兵団が構成する場合もあった。

 「師団」平時では師団が最大集団1500人~2000人規模。師団長は中将が務める。また、幕僚部が設置された。師団は最小の戦略単位。

旧日本軍には169の師団があった。
参考文献:

・「せんそうの加害」展のパンフレット。
・Wikipedia
・江口圭一著「二つの大戦」





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