・この二人の男女(をとこをみな)のなからひは果(はて)となりけり罪ふかきまで・
「暁紅」所収。1936年(昭和11年)作。
1936年(昭和11年)5月18日。「阿部定事件」という、猟奇的殺人事件が起った。事件の概要はネット検索で確認して頂きたいが、世上を驚かせた。
この事件を題材にした書籍、映画も少なくないが、茂吉も事件当時驚愕した一人だった。そこでこの一首がなったのだ。
当時この事件をめぐって茂吉は次のような短歌も詠んでいる。
・サダイズムなどといふ語も造りつつ世人(よひと)はこころ慰むらしも
・安部定が切り取りしものの調書をば見得べくもなき常の市民われは・
・行ひのペルヴェルジョを否定して彼女しづかに腰おろしたり・
生々しい表現である。だが2・26事件のあった当時としては、世間の受け取り方も現代とはかなり異なったようだ。「女神」と受けとった人も多かった。本格的な戦争が迫るなかで、同様の無残な事件もほかに起った。「暁紅」には次のような作品もある。
・なにゆゑに吾が子殺すとたはやすく聖(ひじり)説くともわれ泣かむとす・
・年老いし父が血気の盛(さかん)なるわが子殺しぬ南無阿弥陀仏・
ありていな言い方になるが、特殊な社会背景のもと、「エログロ」「すさんだ気風」が社会現象となったのだろう。
佐藤佐太郎と長沢一作のとり上げかたをここに書きだす。
「この二人の男女の関係は終局となった、犯罪事件となって。猟奇的な殺人死体遺棄事件として世の人は笑い草とした(=これは佐太郎の思い違い:ネット検索・阿部定事件)のであったが、この作者の反応は世俗とちがっていた。変態性欲の一つの現われだから、作者の専門医学とも関係があるが、単にそれだけでなく、性欲は人間の切実な本能であるという人間的諦視が根本にあった。だから事件的な興味を洗い去って純粋詠歎としてここに結晶しているのである。」(佐藤佐太郎「茂吉秀歌・下」
「いいかえれば、人間のもつこの業のごときものを否定することなく、善悪をいうのでなく、『罪ふかきまで』のその究極を、ひたすら悲しんで受けとめているのである。」(長沢一作「斎藤茂吉の秀歌」)
だが僕は「罪ふかきまで」と詠嘆するのなら、「人間のもつ業」を表現するなら、もっと他に素材があっただろうと思う。これは誉め過ぎだ。茂吉嫌いの人の標的ともなり得る作品だ。(岡井隆ほか「斎藤茂吉・その迷宮に遊ぶ」での小池光の発言など。)
過大な評価は秀歌を埋没させる。
ちなみに塚本邦雄はとり上げていない。このあたりに、師匠筋の作品の見方とそうでないものの見方の違いがあるように思う。
この一首。僕としては秀歌とは思えないのだが、あすとり上げる佐太郎の作品と比較する意味でここで論じた次第である。明日を乞うご期待。