・生きてゐし敗戦の日ぞ忌日(きにち)にてとらはれ死にき厳冬シベリア・
・何処(いづく)むき頭(かうべ)は垂れむ弟よとらはれ死にしシベリアいづへ・
「素心蝋梅」1979年(昭和54年)刊。
窪田章一郎の弟、茂二郎はシベリア抑留の末亡くなった。戦後34年にそれを追憶して詠まれた挽歌である。
難解な言葉はないが、忌日、何処、首が漢字表記だけでは21世紀のいまの時点では、やや古風な印象を持つ人もあろう。
だがこの作品は「戦後派」短歌の性格を示している。土屋文明、近藤芳美、宮柊二などの「戦後派」はリアリズム短歌だった。これは戦争をへて社会をリアルに把握しようとする傾向の表れだと言えよう。
戦争はそれほど深い傷を人に与えたのだ。土屋文明は国内に、宮柊二は戦場に、近藤芳美は病弱の身として戦争を詠んでいる。そしてこの一首の作者、窪田章一郎は弟をシベリア抑留で亡くした人間として、それぞれ独自の視点から詠んでいる。
次のような作品もある。
・冷えしるき空の曇りにこの年の八月十五日午(ひる)の鐘鳴る・
・かへらざる俘虜の死怒りし親も逝き土に埋もれぬ海を隔てて・
岡井隆編集の「集成・昭和の短歌」の窪田章一郎のプロフィールに次のようにある。
「『ちまたの響』はシベリア抑留死した弟の挽歌をはじめ、温和な人間味に富んだ抒情。『素心蝋梅』にいたり、いっそう自在に人生の機微を掌握。」
窪田章一郎の親の窪田空穂の作品もここに挙げておく。
・親といへば我ひとりなり茂二郎生きをるわれを悲しませ居よ・「冬木原」
重い歴史である。