この作品も「運河」の <作品批評>で取り上げられたもののひとつだ。
書物の本文に傍線を引くのは意外と難しいもの。そんなことに焦点を当ててみた。
難しさその1。読んでいる時は何もかも大切に思えて、結局本文全体に線を引くこともあった。これでは引かないのと同じ。あとから読んでも何が大事で何がそうでないか判別できない。
その2。古書店で本を買うとしばしば感じるのだが、傍線がひいてあるところに納得ができないのである。「トンチンカンなとこるに傍線を引いている」と言えば元の持ち主に申し訳ないが。
そこで大切な本は二度読みして、鉛筆で線を引くことにした。本を読むには、詠む目的がある。そしてその目的(問題意識といいかえてもいいが)は時とともに変化する場合がある。
だから、最初は一番知りたいことに傍線をひく。当然一回目と二回目では読みの深さが違うから、着目するところは異なってくる。短歌の入門書などの場合は、歌境の進展によって着眼点が変わる。かなり前に読んだ書物の傍線などを見ると赤面ものだが、時間の経過とともに読みが深まったことも実感できる。
価値ある本は二度三度読むのがよいようだ。ちなみにこの一首のなかの本は、尾崎左永子著「現代短歌入門」である。