星座α25号・作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
実感のある歌を
詩と事実報告は何処が違うか。それは抒情(喜怒哀楽)の実感があるかどうか、実感が深ければ、それだけ深い歌になる。感想文ではなくなるのだ。
今号は、一人7首を目途に選歌したが、粒ぞろいの作者の場合は8首選んだ。
・(冬の福寿草の歌)
初句の比喩が効いている。朝露の光る朝を思わせて、福寿草が咲いている。実景が見えるようだ。
・(ハクモクレンの落花の歌)
結句が効いている。三句目が字余りだがハクモクレンの花の「ひとつ」の印象が深くなる。句またがりにも言えるのだが、必然性のある字余りでありたい。必然性は抒情が深まるか否か、音感が良好になるかにある。
・(夜風にガラス戸が鳴りやむ歌)
一瞬を切りとっている。それゆえ印象が深く刻まれる。作品に鋭さが出る。
・(コロナ禍で看取れなかった歌)
コロナが原因で、見舞いのできぬ病院や介護施設が当たり前のようにある。肉親との終(つい)の別れの出来ぬ人々も多い。そうした実感を、下の句の表現で鮮明にしている。
・(木香薔薇の咲く歌)
季節の変わり目は、寒暖の差が大きく、気圧も乱高下する。人間なら体調を崩すところだが、自然界の花は咲くべき時には咲く。四句目が効いている。
・(コロナ禍で生活形態がかわるなか仰ぐさくらの歌)
コロナ下の自粛、営業時間短縮、ソーシャルディスタンスなど生活が様変わりしている。このような状況下で桜をみるとは誰が予想したか。