・白藤の花にむらがる蜂の音あゆみさかりてその音はなし・
「群丘」所収。1959年(昭和34年)作。岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」111ページ。
現代の感覚からすると4句目がわかりにくい。そこで読みから。「あゆみさかりて」の「あゆみ=歩み」、「さかリて=さかる+て」。「さかる」は「離れる」の意味で、「離る=さかる」と読む。「とおざかる」の「さかる」で、「あゆみさかりて」は「歩いて遠ざかってみると」の意味だ。
佐太郎が歌壇の中心で活躍したのは戦後だが、そこは明治生まれ。用語・語法が古い。これはやむを得ないこと。生きた時代が違うのだから。
さて冒頭の一首、佐太郎の自註がある。
「大和当麻寺の中之坊の庭園に白藤がある。花に群がってゐる蜂の翅音は耳を聾するばかりだが数歩へだたるとその音は聞こえない。私は夢幻の世界を過ぎたやうだった。この歌は歌碑になって庭園の隅にある。」(「及辰園百首」)
「旅行の途次大阪に寄り、大和当麻寺に遊んだときの作。牡丹を見るのが目的で、牡丹の歌もいくつかあるが、私自身は中之坊の庭園の奥にある白藤をよんだこの歌がもっとも気にいっている。藤棚の下に立つと蜂の音は耳をろうするばかりだが、二、三歩へだたるとその音はもう聞こえない。私は白昼夢幻の世界を通りすぎたような気がした。この歌は歌碑として大阪の友人たちの手で中之坊の庭すみにたてられた。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)
ほぼ同じことが書かれているが、注目すべきことが三つほどある。
一つは語感のうち聴覚を効かせている点。「写生・写実」といえば「見たもの」をもとに作歌するのが基本で、茂吉の作品も多くはその範疇にはいるが、音を詠ったのは、「写生派・写実派」としては佐太郎の開拓した分野だろう。
次に「白日夢幻」と作者が感じている点。幻だから、まるで現実のものでないように感受しているのだ。ここは作者の主観だが、その主観が幻の世界であるところに佐太郎の独自性がある。茂吉は伊藤左千夫から「理想派」と言われ、みずからも「そういう癖があった」と書き残しているが、その傾向を受け継いだものとも言える。
最後に一瞬を切り取っている点。「白日夢幻」を感じたのは、おそらく蜂よりん二、三歩歩んだところだろう。「佐太郎は時間を切り取る名手」と言われる所以だろう。
こういった五感を研ぎ澄ます感受というのは、「写実派」としては珍しい。