・娑婆苦より彼岸をねがふうつしみは山のなかにも居りにけむもの・
「ともしび」所収。1925年(大正14年作)。
先ずは語意から。「娑婆」とは「この世」で、「娑婆苦」は「この世の苦しみ」。「彼岸」は「あの世:三途の川の向こう岸」、即ち「死後の世界」。これに対し現実世界は「此岸・しがん」という。ともに仏教用語で、信仰心の篤かった茂吉らしい語法である。
そして歌意。「この世の苦しみより< あの世 >を願うほどの苦しみにたえている我が身は、いま身をひそめるようにこの山のなかにいる。そのような密かに潜んでいるようなものとしていまここにいる。」とでも言おうか。「けむ」は推量の助動詞だから、「目に見えぬ何か」を感じ、それらと一体になる感覚に包まれているのだろう。
さて作品の評価。
茂吉自身:
「生活の不安は依然として斯くのごとくであった。・・・思ってみれば本年は実に苦しくも悲しくも不思議な年であったが、歌として読むに足るものが若干首出来、これもまた不思議なことであった。」(「作歌四十年」)
「(火災後の作品は)全体として< 悲しい歌 >ばかりである。< 娑婆苦より彼岸をねがふ >の歌は、芥川龍之介氏が私に合ふたびごとに、この歌のことを話した。」(「ともしび・後記」)
と自信作として言い切れないものの評判はよかった。「混沌」と題された一連をふくむこの時期の作品は独特の悲しみに満ちている。「後記」では八首をあげたのち、古泉千樫・島木赤彦も褒めたとある。
長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」では、「一首のしらべのなかに痛々しい嘆きがこもっている。・・・ここにはあらわな生身の茂吉の姿があるだけである。」という評価。
塚本邦雄著「茂吉秀歌・つゆじも~石泉・百首」では、「< 娑婆苦より彼岸を願ふ >は、結果的には< 極楽へ行きたくな >るのと異なりはしないが、これは苦しまぎれでも、気まぐれでもない、出家遁世幻想まで描いてゐるのだ。」という評価。いかにも塚本邦雄らしいものいいだ。
だがこの時期の茂吉の苦しみは、火災後に辛うじて焼け残った建物の一部分のなかに雨露をしのぎつつ、病院の再建をめざすものの火災保険はきれており、金銭的・精神的にも追い込まれているというもの。そしてやがて養父齊藤紀一はこの世を去る。
「ともしび」は戦後の出版であり、「作歌四十年」は昭和19年だが、整理された歌稿により執筆されたものだから、火災による難儀を冷静に「自註」できるのである。だから作歌当時の心情は、塚本邦雄の「解釈」に近いものがあったのだろうと、僕は思う。
「ともしび」は戦後、第一回読売文学賞を受賞するが、読者は戦後の焼け跡の自分とこの時期の茂吉を重ねて読んでいたのかも知れない。