岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

ブナの木通信「星座87号」より茂吉と佐太郎の歌論に学んで

2018年10月04日 08時39分14秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
「ブナの木通信」 『星座87号』

 (目覚めて耳に感じる感覚の歌〉


 夜明けは不思議なもの。覚めやらぬためか耳が聞こえるか否かと錯覚にとらわれる。音が聞こえぬ訳はない。それを作者は「音なき」と捉えた。ここが効いている。


 (ビクトリア滝の轟音の歌)


 ビクトリア滝。世界最大の滝である。その音たるやすさまじかろう。それを端的に捉えた。固有名詞も活きている。


 (雪のあとの空気の歌)


 勢いのある歌だ。南極の雪は、太古の空気を閉じ込めているとも聞く。降雪のあとは、すべてが新しくなっているようにも感じる。そういう感覚を詠った作品だ。



 (焼け跡に葡萄の苗を買った回想の歌)


 これは東京の国立。敗戦直後を回想した。戦争で打ちひしがれた時代。「葡萄稔れ」の表現に明日への希望が窺える。


 (戊辰戦争の殉難碑の歌)

 戊辰戦争では、幕府軍、新政府軍の双方に多大の犠牲者を出した、これは幕軍のものであfろうか。梅雨晴れの空を指しているところが痛々しい。


 (明日の命を疑わず木の実を拾う歌)


 境涯詠である。人間の命には限りがある。それを冷静に見つめている作者。愚痴になっていないのがいい。


 (梟の鳴く夜の歌)


 夜は特別な時間だ。その静寂は神々しくもあり、一種不気味でもある。その感覚をうまく掬い取った。


 (光を散らす噴水の歌)


 水は無色透明だが、噴水の水となって落下するときは、独特の光を帯びる。その寂寥感をいまく表現した。


 どこに美やドラマ性を発見するか。これだ。




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