岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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われを責むるものを感じる歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月17日 23時51分37秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・殻うすき鶏卵を陽に透かしつつ内より吾を責むるもの何

 作者は鶏卵を陽に透かしている。今は滅多に見ないが、昭和40年代まではよく見られた場面だ。鶏卵に傷みがあるかを確認するためである。

 場所は特定されていない。捨象されているのだ。下の句に「感動の中心」があるので、そこに絞ったのだ。ここに「表現の限定」がある。

 「責むるもの何」とあるが、作者は自分で自分を責めているのだ。理由はわからない。読者としては、「さるびあ街」の前後の作者の離婚を、容易に想像するが、これも捨象されている。

 自己凝視の強い作品だ。

 この一首を読んで、寺山修司は、「鶏卵」から受ける印象として、「作者が子を産んでいないのを責めている」と言ったそうだが、それは寺山の深読みだろう。



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