・殻うすき鶏卵を陽に透かしつつ内より吾を責むるもの何
作者は鶏卵を陽に透かしている。今は滅多に見ないが、昭和40年代まではよく見られた場面だ。鶏卵に傷みがあるかを確認するためである。
場所は特定されていない。捨象されているのだ。下の句に「感動の中心」があるので、そこに絞ったのだ。ここに「表現の限定」がある。
「責むるもの何」とあるが、作者は自分で自分を責めているのだ。理由はわからない。読者としては、「さるびあ街」の前後の作者の離婚を、容易に想像するが、これも捨象されている。
自己凝視の強い作品だ。
この一首を読んで、寺山修司は、「鶏卵」から受ける印象として、「作者が子を産んでいないのを責めている」と言ったそうだが、それは寺山の深読みだろう。