2005年に「夜の林檎」、2011年に「オリオンの剣」、2012年に「剣の滴」(「つるぎのしずく」)と第2歌集と第3歌集の間が非常に短いが、作品の制作年代は重なっており、拾遺(=収録できなかったものを拾う)または続編と考えて貰っていい。
さて尾崎左永子(「星座」主筆)による帯文。(「星座」創刊10周年記念歌集)
「この『星座ライブラリー』は一人一人が星の光輝を目指して作歌に励んだ十年間の成果です。」
僕の10年間は斎藤茂吉と佐藤佐太郎の業績に「新」を積むと明確に意識するようになった時期と重なる。
僕の「あとがき」より。
「この歌集はの第3歌集となる。前歌集「オリオンの剣」の翌年の刊行はいささか早い気もするが、体調を考え上梓することとした。
歌集名「剣の滴」は集中の作品、
濁りなき鮮紅色にありしとぞジャンヌ=ダルクの剣の滴は
によった。・・・前歌集の続編もしくは、拾遺ということになろう。
2つの雑誌『運河』『星座』に作品を発表するようになって10年以上になる。その間、『運河』と『星座』とでは文体も表記も意識して異なるものにして来たが、両誌に発表する作品の文体にほとんど差がないと自覚しはじめたのは、前歌集上梓のあとのノートを整理している最中だった。
同時にこの10年間は作歌の目標を斎藤茂吉と佐藤佐太郎の業績に『新』を積むと明確に意識するようになった時期だった。
亡き今西幹一氏が言ったように『茂吉ぬきで近代短歌は語れない』。また『岩波現代短歌辞典』で引用歌が最も多かったのは佐藤佐太郎。語彙の多さ、発想の豊かさがあるはずである。
ここで歌論を展開する紙数はないので、詳しくはブログを参照して頂きたい。
茂吉と佐太郎の業績に『新』を積むといったが、これは困難と危うさを伴う。『新』を積むつもりで、奇抜さを競うことになってしまい、短歌という伝統詩形に『引導を渡す』ことにもなりかねない。その危うさを回避するには、実作を支える歌論が必要であろ。その意味でここ数年、茂吉と佐太郎の実作と歌論を集中して読んだのは有益だった。表記、語法、文体の全てについて、茂吉と佐太郎の実作と歌論に根拠があるのだが、個別の説明は省かせて頂く。・・・」
とにかく茂吉と佐太郎とに学ぶ必要を強く意識した10年間だった。それはこのブログの随所に見出せるはずだ。
岡井隆の編集になる著作に「集成・昭和の短歌」というものがある。その「序文」の一節。
「このアンソロジーは、まず昭和の十年代までに近代の短歌が達成した水準の高さをさまざまな流派や作風の人びとによってさし示している。さらにその達成を、新しい時代の要求に合わせて、問い直すことによって、どのような成果が得られたかを20年代、30年代に生まれた新鋭たちの仕事を通じて、さし示している。
いま短歌を作ろうという人も、今から短歌を知ろうとする人も、まず大体のところ、このアンソロジーあたりを共通の常識として、読み込んだ上で、作り、また論ずるといいと思う。・・・熟読していただきたい。」
この本の中で、斎藤茂吉と佐藤佐太郎とは前半にしっかりとした位置を占めている。僕の目指す方向は間違っていなかったと、改めて思う。
§ § § § §
歌集「剣(つるぎ)の滴」(かまくら春秋社:刊)は全国の書店で注文できます。また、アマゾンでも発売中。第二歌集「オリオンの剣」も状態のよい古書として、同じくアマゾンに出品されています。