天童大人プロデュース 「詩人の聲」2014年6月(1)
1、長谷川忍(第17回公演) 6月4日 於)スターポエッツギャラリー
長谷川の聲を聴くのは3度目だった。1度目はやや気分先行、2度目は主題が明確になってきて、3度目はどのような進展があるのか注目していた。前回、川崎詩人会の詩人から「詩は上手いだけではいけない。人間が描かれていないと。」と聞いた。
長谷川もその席にいて話を聞いていたのだが、そのせいか今回は「都会に生きる人間の姿」を全面に出していたように思う。「時代を生きる人間」「京浜に生きる人間」「友人の関係」「人間の生と死」「日常と非日常」といったテーマを意欲的に詩の主題としようとする姿勢が見えた。
リズムも快い。だが天童大人からは「手垢の付いた言葉が多い」と言われていた。主題をどう作品化するかが、課題だろう。
2、天童大人(第42回公演) 6月5日 於)東京平和教会
天童は、対馬和多都美神社で「聲の奉納」をした直後だけに、聲が出しにくいようだった。しかしそこはベテラン、声の出し方をやわらかくして乗り切っていたように思う。天童の聲は凄まじい。会場のガラスを破らんほどだ。だがこの日の聲はやわらかかった。こういう聲も心にしみる。悪くないと思った。
作品は、未発表のものを中心に「スペイン」「イタリア」「アフリカ」「イラク」「日本」と世界の国々ちなんだものが集められていた。「バビロン詩篇」「ニムロデの塔のあとで」「ベネチアの回廊」「ミラノの空」などが、聲で撃たれた。いずれも天童が行った経験のある国だ。
かれが修行したのはスペインだが、そのスペインの作品が一番少なく、まだ完成していないようだった。何故かはわからない。天童にもこれから開拓していく、分野があるということだろう。
3、川津望 (初参加) 6月6日 於)カシュカシュダール
川津は初参加。どのような聲でどのような作品が聞けるのか、注目していた。聲は出ていた。大きな聲でよどみなく読まれていた。
しかし作品は荒削りだ。言葉をカミソリのように使っているが、主題がハッキリしない。迫力のある言葉をぶつけているだけのものが多かったように思う。
だが、後日ほかの詩人の聲を聴いて、号泣したとフェイスブックに書いてあった。吉田一穂など、詩の読書量も多い。ダイヤモンドの原石というところか。天童大人が終わりに「回数を重ねて膿をだしていけば、・・・。」という言葉を川津は聞いただろうか。
今後の課題は多いが、応援したい。
4、竹内美智代 (第27回公演) 6月10日 於)カシュカシュダール
鹿児島弁を読みこんだ作品が多い。それも修辞として使っているのでなく、作品の主題とマッチした使われ方をしている。主題は「ふるさと」「家族」「なつかしき人々」。言葉遣いが自然で、無理と無駄がない。
思わずほほえみたくなるような作品もあって「童話的世界」「望郷の念」を感じさせる作品が多かった。リズムも快い。難解な言葉もない。
また、「漁業の衰退」「戦争」「原発」など社会的テーマを主題とした作品もあった。それが鹿児島弁と混ざり合って一つの詩の世界を作っている。
このプロジェクトで30回に近い公演をしている詩人は、それぞれ独自の詩世界を持っている。白石かずこが、このプロジェクトを「天童さんの学校」と言ったそうだが、まさにそう思う。
(福田知子、柴田友里、紫圭子については、明日の記事としようと思う。)
このプロジェクトの日程は、
URL:http://projetlavoixdesopote.jimdo.com./
をご覧ください。