岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「詩人の聲」:2014年6月(2)

2014年06月22日 23時59分59秒 | 短歌の周辺
天童大人プロデュース 「詩人の聲」 2014年6月(2)



5、福田知子 第21回公演 6月11日 於)カシュカシュダール

 福田も天童とともに、対馬の和多都美神社で「聲の奉納」をした直後の公演だった。聞いて驚いたのは、聲も作品も大きく変わっていたことだ。作風が理知的なのは変わらない。だが理屈が姿を消した。聲も以前より通るようになっている。

 福田は京都の詩人で、京都の地方色を取り入れた作品があるのだが、そういった作品を含めて、「人の命」「森の命」「祈り」のようなものが作品に出てくるようになった。

 声が明晰で、リズムが心地よい。新しい境地を開きつつあると思った。

 この変化に本人は気づいていなかったが、画廊のオーナーも同意見で、確かに何かが変わりつつある。



6、柴田友理 第24回公演 6月16日 於)NPO法人東京自由大学


 柴田は新作7編と旧作に手を入れたもの、などをアトランダムに読んだ。前半は「幻想詩」的なもの(これはほとんど新作だった)。途中で「メルヘン」的なもの、旧作で「幻想詩」的なもの。次いで筑豊弁を取り入れたもの。最後に散文詩が読まれた。

 本人曰く「聲が出し難かった」。それは様々な傾向の作品が混在しているからだろう。柴田の独自性はどの辺にあるのか。これを本人が見つけるのが、最大の課題だろう。

 最後の散文詩は、ややくどい感じがした。八月からは、月に二回「聲を撃つ」という。柴田にとっての、意欲のスイッチが ON になったようだ。



7、紫圭子 第28回公演 6月20日 於)ギャルリー東京ユニマテ


 紫も、天童、福田とともに、「対馬の聲の奉納」に参加した。紫もまた聲、作品ともに様変わりしていた。特に聲が変わっていた。会場は元々聲の響くところだが、聲の響きが前回とは全く違う。「聲の方から聞く者の体の中にはいってくる」ようだった。

 紫は、対馬から奄美大島まで、各地で「聲の奉納」をしてきた。その三年に渡って創作されてきた作品が読まれた。たおやかな雰囲気で、聞く者の体にくいこんでくるような、聲。神々しささえ感じられた。

 宗像神社の三女神を題材とした作品を皮切りに、奄美大島まで、十数編の作品が読まれた。作品は総て「祝詞」のようだった。「大自然との一体化」「自然への信仰」「神話的世界」「神の宣託」といった趣きの作品だった。

 だが宗教特有の匂いはしない。自然な感じなのだ。おそらくは紫の世界観に根ざした作品だからだろう。これが紫の独自性なのだろう。


 このプロジェクトの日程は、

  URL:http://projetlavoixdespote.jimdo.com/
                  
                         をご覧ください。

   
 このプロジェクト公演を続けて聴いていると、詩人たちの聲と作品がみるみる変わっていくのがわかる。同時に公演する側に立つと、自分の作品がぐんぐん磨かれていくのが実感される。これが天童の言う「聲の力」だろう。



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