天童大人プロデュース 「詩人の聲」 2014年6月(2)
5、福田知子 第21回公演 6月11日 於)カシュカシュダール
福田も天童とともに、対馬の和多都美神社で「聲の奉納」をした直後の公演だった。聞いて驚いたのは、聲も作品も大きく変わっていたことだ。作風が理知的なのは変わらない。だが理屈が姿を消した。聲も以前より通るようになっている。
福田は京都の詩人で、京都の地方色を取り入れた作品があるのだが、そういった作品を含めて、「人の命」「森の命」「祈り」のようなものが作品に出てくるようになった。
声が明晰で、リズムが心地よい。新しい境地を開きつつあると思った。
この変化に本人は気づいていなかったが、画廊のオーナーも同意見で、確かに何かが変わりつつある。
6、柴田友理 第24回公演 6月16日 於)NPO法人東京自由大学
柴田は新作7編と旧作に手を入れたもの、などをアトランダムに読んだ。前半は「幻想詩」的なもの(これはほとんど新作だった)。途中で「メルヘン」的なもの、旧作で「幻想詩」的なもの。次いで筑豊弁を取り入れたもの。最後に散文詩が読まれた。
本人曰く「聲が出し難かった」。それは様々な傾向の作品が混在しているからだろう。柴田の独自性はどの辺にあるのか。これを本人が見つけるのが、最大の課題だろう。
最後の散文詩は、ややくどい感じがした。八月からは、月に二回「聲を撃つ」という。柴田にとっての、意欲のスイッチが ON になったようだ。
7、紫圭子 第28回公演 6月20日 於)ギャルリー東京ユニマテ
紫も、天童、福田とともに、「対馬の聲の奉納」に参加した。紫もまた聲、作品ともに様変わりしていた。特に聲が変わっていた。会場は元々聲の響くところだが、聲の響きが前回とは全く違う。「聲の方から聞く者の体の中にはいってくる」ようだった。
紫は、対馬から奄美大島まで、各地で「聲の奉納」をしてきた。その三年に渡って創作されてきた作品が読まれた。たおやかな雰囲気で、聞く者の体にくいこんでくるような、聲。神々しささえ感じられた。
宗像神社の三女神を題材とした作品を皮切りに、奄美大島まで、十数編の作品が読まれた。作品は総て「祝詞」のようだった。「大自然との一体化」「自然への信仰」「神話的世界」「神の宣託」といった趣きの作品だった。
だが宗教特有の匂いはしない。自然な感じなのだ。おそらくは紫の世界観に根ざした作品だからだろう。これが紫の独自性なのだろう。
このプロジェクトの日程は、
URL:http://projetlavoixdespote.jimdo.com/
をご覧ください。
このプロジェクト公演を続けて聴いていると、詩人たちの聲と作品がみるみる変わっていくのがわかる。同時に公演する側に立つと、自分の作品がぐんぐん磨かれていくのが実感される。これが天童の言う「聲の力」だろう。