・やうやくに辛夷のつぼみ光るころ岐路越えて涌くわが悲しみは 「冬の暁」
長澤一作58歳の作品である。
歌の構成から言えば、上の句に実景、下の句に心情が表現されている。表現の中心は「岐路越えて涌く悲しみ」である。どういった悲しみかは。直接表現されてない。そこに「単純化」の妙がある。
また、上の句の「やうやくに」の表現からは、何かの「岐路」をようやく通過したのを連想させる。しかも上の句の実景が美しく表現されている。「辛夷のつぼみ光るころ」とは、言えそうでなかなか言えない表現だ。
「辛夷のつぼみ光る」という表現からは、困難を越えて、ひとつの光明が見えてきたのも連想させる。
一つ一つの言葉が効果的に働いている。言葉にも無駄がない。声調も美しい。「写実歌」の心理詠のお手本のような作品だ。
「運河の会」は1983年(昭和58年)に設立された。「歩道の会」の古い会員、長澤一作、川島喜代詩、菅原峻、田中子之吉、山内照夫の五人が連帯退会して作られた。
この五人の著作や発言からすると、退会の前に佐太郎に挨拶に行き、その了解を得たということだ。快く退会が認められたそうだが、その場のに佐藤志満夫人はいなかった。
志満夫人は、五人の退会に反対だったらしく、聞いた話では、当日夫人が帰宅してから、ひどい夫婦喧嘩が起こったそうだ。
佐藤佐太郎の遺歌集『黄月』には、次の作品がある。
・忘恩の徒の来ぬ卓に珈琲をのみて時ゆく午後の楽しさ
・策略をしたる元凶は誰々と知りてその名を話題にもせず
これは退会した五人に向けられたものだが、佐太郎らしくない底意地の悪い作品だ。一説によると、佐太郎が志満夫人への「言い訳」に作った作品だそうだ。佐太郎も「人の子」ということだろう。
それにしても、長澤一作の掲出歌の美しさは見事である。人間は人生のどこかで決断を迫られることがある。それを見事に作品化している。
「星座の会」の尾崎左永子主筆は『NHK歌壇』誌上で、「作者が大結社を離れて、誹謗中傷を受けたころの作品」と解説している。主観がほどよく抑制され、愚痴になっていないところが、いかにも印象的である。