・うつつにしもののおもいを遂ぐるごと春の彼岸に降れる白雪・
「暁紅」所収。1935年(昭和10年)作。・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌集」189ページ。
かなり古風な詠み方だ。特に下の句。4句目が「吉野の里に」とすれば、「百人一首」の世界になる。そうならなかったのは上の句の直喩が効いているからだろう。「旧派和歌」は勿論、万葉集でも直喩はほとんど使われない。但し、その上の句の用語も今からすればかなり古風だ。
そこで先ず語意から。
「うつつ=生身の人間、現実に生きている人間」「し=意味を強める助詞」。つまり上の句の歌意は「現実にものの思いを遂げるように」となる。
「ものの思い」は「者の」と考えれば作者を含む人間だろうし、「物の」と考えれば汎神論的になる。ここは後者と見るべきだろう。静かに降る雪の様子は確かにそのようなものだ。或る歌会で「何か言いたきさまに」と形容して作歌した人がいたが、確かにそのように降る。「しんしんと降る」ではあらわしきれないものだ。
「春の彼岸」にも作者の発見と驚きがある。東日本大震災で「春の彼岸」どころか、4月になってから雪が降った。「これがみちのくとばかり雪ふりしきる」といった短歌作品が新聞歌壇に載って、一層悲しみを深めたことを思い出す。「季節はずれの春の雪降る」という表現でもあらわしきれないものがある。
茂吉の自註。
「春彼岸におもひ切り降った雪を見て、『現(うつつ)にしものの思いを遂ぐるごと』と云った。何か現実に願の成就するやうな心持に似てゐるといふのであるが、『ごと』、『ごとし』で続ける歌は本来むつかしいのだが、つひ楽だから使ひがちで自分もこれまで随分使った。・・・これなどは先ず出来のいい方であらうか。」(「作歌40年」)
やはり直喩が活きていると茂吉自身も自覚していたようだ。
佐藤佐太郎の評価もほぼ同じだ。
「『もののおもひを遂ぐるごと』が美事(ママ)である。芸術論で『感情移入』というが、その最も美しい例がここにあるといってもいいだろう。」
「『うつつにしもののおもひを遂ぐるごと』には、言葉のひびきが長く、しかも沁み徹ってくる悲哀がある。雪をこのような面から感じ、捉えるのは、やはり若い頃と違う年輪である。」(佐藤佐太郎著「茂吉秀歌・下」)
長沢一作もこの点に注目して、
「いかにも核心をいい当てたと思うばかりである。・・・作者自身の充足の思いがここにある。茂吉はこの年、54歳であった。」(長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」)
塚本邦雄もこの「直喩」に注目している。ただしいいようが、写実派とは違う。
「珍重すべき春雪歌であらう。東京における春彼岸の、思ふさま、降りに降った雪といふ天然現象も珍しいが、このやうな奇抜な直喩を試みたのも、作者にとってさう度度のことではあるまい。」(塚本邦雄著「茂吉秀歌・白桃~のぼり路」・百首」)
そして思わず笑ってしまうのだが、
「『ごとく』を用ゐた茂吉の歌に秀歌は少ない。・・・これ一に、正岡子規の遺した赤字負債であり、その累は弟子・孫弟子・曾孫弟子にまで及び、躄喩、殊に直喩の貧しさは『アララギ』の伝統の一部を形成してゐる。」
と「アララギ」批判をしている。確かに直喩は安易に流れやすいし、難しい。だが「象徴派」「浪漫派」の直喩がそれに勝っているのかどうかは分からない。暗喩にいたっては、「前衛短歌の『暗喩』は『暗喩地獄』に陥っているみたい」(佐藤弓生)と言われるほどだから、これもまた難しい問題である。岡井隆の「現代短歌入門」でも『短歌における喩』という一章が確かあったように記憶している。
ともあれ茂吉・佐太郎・長沢一作・塚本邦雄が同じ部分を、同じように評価している作品はそう多くない。斎藤茂吉の「隠れた名歌」というべきか。