天童大人プロデュース「詩人の聲」第1001回 田中庸介
於)三宿 Star Poets Galler
田中庸介の作品は、長文だ。そして難解。
僕が気になるのは、吉本隆明の言葉「現代詩の分野で新人が多く出ているが、やたら難解な言葉を並べて行分けして、詩と称している。しかし全く詩になっていない。全くの暗闇の様だ。」
だから「詩」の朗唱、朗読を聞く時は、目を閉じて耳で聞く。そして何か感じるところがあれば、それは詩だ。今回もそのようにした。田中の朗唱は、耳に心地いい。難解なものもあったが、具象的なものもあった。何だか作風が一定していないように思ったが、音声から言えば、確かに詩である。
田中の詩を聞くのは、2回目。初めての時は確か、一昨年だった。去年は僕の病状が芳しくなかったので聞いていない。僕は神経の関係で「呂律がまわらなくなった」。それをフェイスブックに投稿したら、田中から励まされた。そういう関係もあって、田中の朗唱は、時間の許す限り聞きに行こうと思っていた。
そこで今回聞きに行ったのだが、前回より声が通った感じがした。「声も鍛えられる」のだろうか。
田中の作品は、長文なものなので、一時間はあっという間に過ぎた。僕は目を閉じていたので、ほとんど気づかなかったが、朗唱の際に「オーバーアクションだ」と天童大人から言われていた。
さてこのプロジェクト、僕も10月より参加しているが、毎回のように発見がある。前回の高橋睦郎の時は、「詩は音声の芸術だ」ということを発見した。今回は詩は「耳で聞くものだ」ということを再確認した
そして「このプロジェクトでは、古い作品はどんどんお蔵入りしてもらう。新作をどんどん作ってもらう。詩人には精進してほしい」という、天童大人の言葉を聞いた。僕は第一歌集「夜の林檎」から読んでいるが、声に出すと、欠点がハッキリわかって、ほとんど改作して読んでいる。そうだ、僕も新作を作ろう。創作意欲が湧いた。田中の朗唱会の翌日、翌々日と、新作を14首ずつ詠んだ。これを声に出して、完成品にしようと思う。
帰りのバスの中で、田中と「斎藤茂吉」を巡って話が弾み、渋谷でコーヒーを飲んだ。小説家の木村右祐も同席した。斎藤茂吉、永田和宏、穂村弘、斎藤斉藤まで話は及んだ。穂村弘は「芸能プロダクション」のようなものに入っているという。これでは芸人だ。文学者というより、客商売だ。これは初耳だったが、ゆゆしき問題だ、と思った。何故なら、文学を商業主義によって毒するからだ。ちなみに俵万智もこういった「プロダクション」にはいっているそうだ。俗っぽさは、こういうところから来るのだろう。「俗は文学ではない」というのは、藤原龍一郎、岩田正の発言。
このプロジェクトの10月の予定を、紹介して置く。
10月19日 中沢けい 会場:数寄和(西荻窪)
10月22日 野間明子 会場:Cache cace d`Art(自由が丘)
10月23日 竹内美千代 会場:ギャルリー東京ユニマテ(京橋)
10月25日 禿慶子 会場:ギャルリー東京ユニマテ(京橋)
10月27日 原田道子 会場:Hispanika(溜池山王)
11月2日 岩崎迪子 会場:ギャラリー街角(国立)
11月4日 酒井忠康 会場:数寄和(西荻窪)
11月5日 柴田友里 会場:Cache~cache d`Art(自由が丘)
11月7日 天童大人 会場:NPO法人 東京自由大学(神田)
11月26日 岩田亨 会場:ギャラリー華(広尾)
予約は北十字舎 03-5982-1834
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