天童大人プロデュース「詩人の聲、岩田亨公演」(29回目)
於)キャシュキャシュダール(自由が丘)
「(語り)天童大人プロデュース、詩人の聲。29回目の参加です。今日は御来場頂き有難うございます。今日は第四歌集のゲラを読みたいと思います。ゲラが着いたのが2週間前。自宅で読みながら手を入れました。これを聲に出したいと思います。(以下略)」
収録する作品数は400首。これを一気に読んだ。1時間で400首読むのは少々無理だと思ったが。ゲラは近日中に出版社に返送せねばならない。それで一気に読んだ。その聲を録音した。
歌集1冊に400首は作品数が多すぎるという意見もあって自宅で確認したところ大抵400首から450首だった。これは最近贈呈された歌集だ。今日も1冊自宅に届いた。これも400首以上あった。190ページの分量がある。
現代詩の詩集は100ページが上限のようだ。詩集と歌集の違いだろう。ぼくの歌集『夜の林檎』『オリオンの剣』『剣の滴』は収録歌が少ない。300首はないだろう。振り返ってみたがそれぞれやみがたい理由がある。今度の歌集の収録作品数、ページ数は標準的なものだ。
作品の内容。かなりの実験作を試みている。加藤治郎と大辻隆弘の「短歌で肉親の死の虚構」を巡る論争へ一石を投じる作品もある。
フェイスブックで「象徴詩の技法を使えば、肉親の死の虚構も可能ではないか」と加藤治郎のタイムラインにコメントしたところ「出来るならやってみて」という趣旨のコメントが返ってきた。それに応えたものだ。
また社会詠についても論争がある。東京新聞が「2015年安保」と報道したくらいの現代の状況で社会詠の在り方を問う絶好の機会だ。
また短歌の連作を一篇の定形詩とする試み。物語詩を短歌の連作で試みたものもある。これらはここ数年間考えて来たものを実行に移した。
『星座』『星座α』『運河』には出詠しなかった書き下ろしだ。「詩人の聲」で聲に出しながら完成させたものだ。
後半は所属誌に発表した作品群だ。森、樹木、風を詠った作品が多い。これも様々な意見があったが、佐藤佐太郎の『歩道』『帰潮』は繰り返し都市の景観を素材にしている。
自然を素材にした作品が多いのは第四歌集の特長の一つになるだろう。録音を何度も聞き直した。素材は自然だが、表現した情感が異なる。類型的にはなっていないと感じた。
後書きには書き足す内容が見つけられた。公演のあとの批評の結果だ。プロデューサーの天童のアドバイスのお蔭だ。自分の作品を聞いてもらう意味はまさにここにある。
今月はキャシュキャシュダールで2月18日にもう一回公演がある。ここでは制作中の新作を読む。歌会に出詠して「詩人の聲」で聲に出して作品を練り上げる。こういう手法が僕の中で定着してきた。
新作も現代短歌への一石となるようなものにしたいと思う。