・あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり・
「あらたま」所収。1913年(大正2年)作。
この「道」は代々木近くの道で、夕日のなかで赤く照っているところうを詠ったものである。(「童画漫語」)東京の道であるが、この作品からは都市の印象は結べない。
理由はいくつかある。
その1。「道」という語を使い「舗装路」「鋪道」という語を使っていないこと。もっともこの時代には、東京の「道」の舗装率は低かっただろうし、電化も進んでいない。「都市」という印象からはほど遠い。やはり佐太郎の時代とは同じ明治生まれとはいえ明らかに違いがある。
その2。下の句の「たまきはる吾が命なりけり」。この表現は汎神論的性格が色濃い。もともと斎藤茂吉が熱心な仏教徒であることと無関係ではないと思う。
その3。この歌は目に見える道を詠んでいるのだが、この「道」を作者自身の歩んでゆくみちと重ねているのだ。「童画漫語」には、
「僕らはこの道を歩んでいかねばならない。」
とある。伊藤左千夫亡きあとのアララギの行方を暗示している箇所である。島木赤彦も同様の発想をしているが(「歌道小見」「鍛錬道」)、こういう場合、感情移入が過ぎる場合が多い。それを防いでいるのが「たまきはる」という「命」にかかる枕詞である。奈良時代以降ほとんど使われなくなった枕詞を近代短歌のなかで見事に使いこなしている。歌の色調は「赤」で、生命感をあらわすものであることを考えても「赤光」との連続性が感じられる。
歌全体は先ほど述べたように、いささか宗教がかったところがあるが、この枕詞の使い方・感じ方は、佐藤佐太郎の「紫陽花の歌」や「一瞬の音は一劫の音」の歌にも見られる。
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