・冬霧にまじはりてわが歩みゆく舗道にところどころに灯がさす・
「帰潮」所収、1947年(昭和22年)作。
注目すべきは「冬霧」という自然と、「舗道」という都市の景観が両方詠み込まれていること。佐太郎は「歩道」(第一歌集・作品の制作年代からいうと第二歌集)において都市詠を開拓した。その後、「しろたへ」「立房」では叙景歌に重きを置く傾向にあった。
そして第五歌集「帰潮」。ここでようやく「都市の中の自然詠」というものに達した。今西幹一によれば「純粋短歌の確立」・岡井隆によれば「象徴的写実歌の完成」である。
佐太郎は名詞を「実語」と呼んだ。この作品の場合、名詞は「冬霧」「舗道」「灯」の三つ。あとを「虚語」とすれば、< 虚と実の出入り >が見られる。佐太郎の短歌が茂吉のそれと違ってすっきり見えるその理由の一つは< 虚と実の出入り・名詞と副詞的用語の巧みな組み合わせ >がある。「虚語」は副詞的言葉、副詞・形容詞・形容動詞の連用形を中心とした言葉をさしていたらしいが、作品を見渡すと名詞以外を「虚語」と呼んだようだ。ここでの一首にはその特徴が見られる。
そして詠む対象。「冬霧」という自然と、「舗道」「灯」という都市の景観。これが都市生活者の心情を象徴的にあらわしている。「鋪道」は舗装路であるから、「灯」は街灯であろう。当時は水銀灯はまだなかったから、電球を使った街灯だろう。黄色い光だから「灯」という語がふさわしかろう。
写生という考えは、絵画においては都市郊外で形成された。印象派の画家たちが画材を持って郊外の風景画を初めて描いたことはすでに記事にした。短歌における写生も松山という地方都市出身の正岡子規によって初めて提唱された。正岡子規について書かれた伝記や評論・講演録などをいくつか読んだが、そのなかに「自然豊かな地方都市であるからこそ、のちの写生の素養となった」とあった。今にわかに書名を思い出せないが、写生が地方色をぬぐいきれないことは認めてよいと思う。少なくとも初期においては。
そうすると都市を題材に写生を試みた佐太郎の独自性が理解できようというものだ。それら諸々の要素が「帰潮」で明確になってくる。ここで紹介した一首はその代表作の一つだと言っていいと思う。
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