・階くだり来る人ありてひとところ踊場にさす月に顕はる・
「地表」所収。1951年(昭和26年)作。
階段(おそらく建物の外階段)に月光が差し、黒い人影が照らしだされる。まことに幻想的な景である。月の光がさして、その逆光のなかに顔も性別もわからぬ人の影が顕れるといった場面であろう。
漢詩に、
「吾踊レバ影繚乱ス」
というのがあり、宮沢賢二の童話にも「月光に照らされて、黒い影が躍る」という表現がある。
ともに月光の明るさと影の黒さが見事な対比をなしており、直接には表現されていないものの、「静寂」「孤独」といったものを連想させる。
言葉で表現されているもの以外のものにも連想が及ぶのが詩の特徴のひとつであるとすれば、まさにそれにあたる作品である。
静かでありながら、限りなく連想が広がる。ここにこの一首の特徴があろう。「貧困の苦しみと悲しみ」を主題とした第五歌集「帰潮」時代を突き抜けた、作者の新しい心境があらわれているし、「連想の広がり」という面では斎藤茂吉の「赤光」の世界を思わせる。岡井隆が「象徴的」といったのも、こういう点を指したものだろう。
何年か前の「NHK歌壇」の「巻頭秀歌」に佐佐木幸綱の解説・2ページ見開きの写真をバックに紹介されていたが、その写真がまさに「そういう世界」だった。
こうした「帰潮」になかった傾向。幻想的でありながら、景がしっかりと顕つ、印象が鮮明で「言葉で表現された以上のもの」が静かに広がっていく。佐太郎の秀歌のひとつに数えてよい作品だと言って良いだろう。