・放射能ふくめりといふ昨夜の雨いま桃の葉に降りそそぐ雨・
「地表」所収。1954年(昭和29年)作。
この年の3月にはビキニ環礁でアメリカの水爆実験が行われた。第5福龍丸が被爆し、大きな社会問題となった。「雨に放射能が含まれている」「その雨に当たると髪の毛が抜ける」などといわれ、あるいは、魚屋の店頭に「この店の魚は放射能に汚染されたものではありません」という張り紙がされた。「被爆マグロ」という言葉も生まれた。
直接的表現による「社会詠」を詠まなかった佐太郎も無関心ではいられなかった。
「昨夜の雨には放射能が含まれている」というのが上の句の意味。続けて下の句に「洋傘(こうもりがさ)が転がり」まわったり、「ジープ」が出てくれば「前衛短歌」の手法である。「洋傘」は不安の、「ジープ」はアメリカの暗喩だから難解歌となる。
しかし佐太郎は下の句に「いま降るあめ」、すなわち実景をもってきた。ここが、佐太郎と前衛短歌の違いである。
「昨夜の雨は放射能を含んでいるという」。では今降る雨は?そこまでは言葉で表現されていない。そこが余韻であり、読者の想像に任されている。しかし「桃の葉」に降り注ぐことによって、「おそらく今も・・・」と言う事が暗示として提示されている。
よく読めば、こちらの方が痛々しい深みがあり、一種不気味ではないだろうかと僕は思う。
まして「桃の木」は佐太郎短歌にあっては特別な意味を持つ。
・桃の木はいのりの如く葉を垂れて輝く庭にみゆる折ふし・「帰潮」
この一首を踏まえると「放射能・・・」の作品の下の句が次のようには読めないだろうか。
「今降る雨にも放射能はふくまれている。人間の祈りを踏みにじるかのように。」
佐太郎は佐太郎自身のしかたで、世界の動きを凝視していたのだ。