短歌の道しるべ (12)
◎今月のワンポイント 3月◎
*短歌はゴールのないマラソン・・・考えてみてきださい*
≪「われ」ということ≫
短歌は「一人称の文学」と言われます。自然詠も心理詠も、対象を自分にグッと引き付けて表現します。掘り下げるといってもいいでしょう。ここが難しいところで、引き付けが弱く掘り下げが浅いと、一首の内容が他人事になってしまいます。社会詠の場合は、スローガンになってしまいます。
以前、詩人の谷川俊太郎氏の言葉を引用しました。私はこれが一つのヒントになると思います。
短歌の「怖さ」はそこにあるのかも知れません。5句31音が身に着けば、ある程度のカタチになってしまう。だからといって、最初から「ムズカシク」考える必要もありません。どんな大家だって最初は初心者だったのですから。
≪短歌大会や総合誌への投稿≫
『短歌』(角川書店)、『短歌研究』(短歌研究社)、『NHK短歌』(NHK出版)、『現代短歌新聞』などを短歌総合誌(紙)といいます。様々な情報が得られますので、定期購読をするのも良いかもしれません。読者の投稿欄や各地の短歌大会のお知らせもありますから、少し自信が付いたら投稿してみる方法もあります。入選すれば励みにもなります。私は節目節目で雑誌や短歌大会で入選し、それが新しい出会いや発見の場になってきました。ただし、『投稿魔』になって、入選のために血道をあげるようでは本末転倒ですが。
≪批評されるということ≫
「詩人を殺すには誉めればいい」という言葉があります。辛辣に批評されるのは、つらいものです。しかし、批評されるからこそ学ぶことも多いはず。短歌を作っても誰も何も言ってくれないとしたら、その方が悲しいではありませんか。私が短歌を始めて間もない頃のことですが、かなり厳しい批評をされて悩んだことが何度もありました。それを或る歌人に話したら、
「そう。君はいい批評家を持っているね。幸せじゃないか。」
と言われました。この言葉を聞かなかったら、私は今ごろ短歌をやめているかも知れません。先達の言葉もまた大事にしたいものです。