岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

短歌の道しるべ(12)

2012年11月24日 23時59分59秒 | 作歌日誌
短歌の道しるべ (12)

◎今月のワンポイント 3月◎


 *短歌はゴールのないマラソン・・・考えてみてきださい*


≪「われ」ということ≫

 短歌は「一人称の文学」と言われます。自然詠も心理詠も、対象を自分にグッと引き付けて表現します。掘り下げるといってもいいでしょう。ここが難しいところで、引き付けが弱く掘り下げが浅いと、一首の内容が他人事になってしまいます。社会詠の場合は、スローガンになってしまいます。

 以前、詩人の谷川俊太郎氏の言葉を引用しました。私はこれが一つのヒントになると思います。

 短歌の「怖さ」はそこにあるのかも知れません。5句31音が身に着けば、ある程度のカタチになってしまう。だからといって、最初から「ムズカシク」考える必要もありません。どんな大家だって最初は初心者だったのですから。


≪短歌大会や総合誌への投稿≫

 『短歌』(角川書店)、『短歌研究』(短歌研究社)、『NHK短歌』(NHK出版)、『現代短歌新聞』などを短歌総合誌(紙)といいます。様々な情報が得られますので、定期購読をするのも良いかもしれません。読者の投稿欄や各地の短歌大会のお知らせもありますから、少し自信が付いたら投稿してみる方法もあります。入選すれば励みにもなります。私は節目節目で雑誌や短歌大会で入選し、それが新しい出会いや発見の場になってきました。ただし、『投稿魔』になって、入選のために血道をあげるようでは本末転倒ですが。


≪批評されるということ≫

 「詩人を殺すには誉めればいい」という言葉があります。辛辣に批評されるのは、つらいものです。しかし、批評されるからこそ学ぶことも多いはず。短歌を作っても誰も何も言ってくれないとしたら、その方が悲しいではありませんか。私が短歌を始めて間もない頃のことですが、かなり厳しい批評をされて悩んだことが何度もありました。それを或る歌人に話したら、

 「そう。君はいい批評家を持っているね。幸せじゃないか。」

と言われました。この言葉を聞かなかったら、私は今ごろ短歌をやめているかも知れません。先達の言葉もまた大事にしたいものです。




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