岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

75年目の「8・15」前後に思う:靖国神社の問題点

2020年08月16日 14時43分00秒 | 歴史論・資料
75年目の「8・15」前後に思う:靖国神社の問題点

 靖国神社を英語で「戦争神社」と表現するのは知っていた。今回初めて知ったのは「戦死神社」とも表現されると言うこと。だが「戦死神社」というのは正確ではない。時の「お国」のために戦死した人に限られる。西南戦争で戦死した西郷隆盛。維新の元勲、維新の三傑と呼ばれるにも関わらず、靖国神社には祀られていない。東京裁判でA級戦犯として処刑された東条英機らは戦死ではないのに祀られている。

 つまり戦争を指導し、「お国のために」戦死した兵士を祀っているのだ。先の戦争を肯定する前提がある。「ポツダム宣言」で否定された軍国主義思想がここには残っている。だから「戦後の民主化」の過程で、財閥解体、農地改革、日本国憲法の制定などとともに「靖国神社」の廃止の話が持ち上がっていた。これを阻んだのが東条英機の意を受けた、元陸軍大将と終戦直後の権宮司である。目的は「日本軍は武装解除されても、精神的には武装解除されない」だった。

 8・15には、旧日本軍の軍服を着て、鉄砲を担ぎ、旭日旗を掲げた一団が進軍ラッパを吹きながら境内をパレードする。特設舞台では軍歌が高らかに歌われる。その異様な光景はSNSで検索すれば見ることができる。

 靖国神社は追悼施設ではないのだ。精神的に「民衆の心を戦争へ向ける装置」だ。ここに国会議員、閣僚など公職にある者が参拝すべきではない。

 国立の追悼施設は別に建設し、公職にある者はそちらに参拝すべきだ。いずれは靖国神社は宗教法人だ。これを国家が否定することはできない。一般の宗教法人と同じ扱いをすべきだ。

 靖国神社の最大の問題点は、精神的に人間を戦争に駆り立てることだ。






最新の画像もっと見る