岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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齊藤茂吉44歳:罪ふかき「われ」を詠う

2010年07月08日 23時59分59秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
・罪ふかき我にやあらむとおもふなり雪ぐもり空さむくなりつつ・

 「ともしび」所収。1926年(大正15年)作。

 「赤光」の作品に見られるように、茂吉の作品には「仏教的世界観」が漂う。西洋哲学の用語で「汎神論的」と言われる理由もここにあるのだろう。

 塚本邦雄は言う。ここでの「罪」は「自分を含めて、人間一般の、免れがたく負ふ罪であり、・・・それも< 極悪悪人唯成仏 >と、一方では救済を約束された、大乗仏教の、大らかな罪の意識だったかも知れない」。(「茂吉秀歌・つゆじも・・石泉・百首」)

 だから、茂吉のこの時期の私生活を穿鑿してもあまり意味はないだろう。

 それともうひとつ注目点は、下の句。「雪ぐもり空」「さむくなりつつ」という景を感覚的にとらえた表現が、作者の感情の屈折のようなものを感じさせる。

 上の句に作者の心情、下の句に叙景。こういう表現方法も当時は茂吉ならではのものだった。それまでのアララギ派にはなかった傾向である。

 かつ、感覚的に景を捉えた方法は、「象徴的写実歌」(岡井隆)と呼ばれる歌境に達した佐藤佐太郎に受け継がれている要素のひとつだと考えていいだろう。






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