・過去(すぎゆき)に失いしものひとつずつ拾う心地ぞ手紙を書くは・
選者:尾崎左永子。
「過去」とかいて「すぎゆき」と訓ませたのは、佐藤佐太郎(「星座54号」尾崎左永子)だそうでその分、オリジナリティに欠けるとも思うが、この訓みが僕は気に入っている。何より語感が美しい。
短歌を詠むようになって自分の生活に起った「劇的変化」のひとつは手紙をかくようになったこと。それまでは年賀状もろくに書かなかったのに。なかには32年ぶりに連絡がとれて、年賀状やメールのやりとりをしている人も何人かいる。
大学を卒業してから40歳近くまで人づきあいをほとんどしなかったから、まさに「劇的」だ。病気療養にはいるまでは学習塾の仕事をしていたから、同窓会もほとんど欠席続きだった。
だから僕にとって手紙を書くことは、「失ったものを拾う行為」に他ならない。そういう気持ちを飾らず正直に表現できたのが、入選した原因だろう。
先日の「与謝野晶子短歌文学賞」の作品もそうだったが、このごろ感情を静かに抑えた作品が多くなってきたようだ。病気のために体力が弱まった分だけ、力みが抜けてきたようだ。
実をいうと、「感情の抑制」などと聞くと反発を感じたこともあった。しかし今感じているのは、感情を抑えた表現がいかに難しいかということと、そのときどきのコンディションにあった歌を詠うというのは、むしろ自然ではないかということ。
体調が回復してきたら、パンチの効いた歌も詠えるようになるだろう。誰かが言った。
「歌は人なり。」
今の自分が偽りなく表現できれば、それがそのときの「最上の歌」であると思っていきたいものである。