・夜の蛾を外に追いしが闘争はかくのごときにも心つかるる・
「帰潮」所収。1950年(昭和25年)作。
「闘争」というかなり強い言葉が目立つ。年表を見ればこの年にさまざまなことが起ったことが分かるが、そこからの連想であろうか。
「夜の蛾」を逃がしてやったという。目の前は漆黒の闇であったろうし、「蝶」ではなく「蛾」であることに注目したい。灰色の鱗粉をまとう「蛾」は作者の苦悩を象徴的に表しているように思える。「蝶」のように華やかではない。(「夜の蝶」というと演歌的世界を想起させるが、それは別として。)ここはやはり、蛾でなければならない。
しかも、それを逃がしてやるという。これが「心を解き放つ」「苦悩からの解放」という印象を結ぶのも、そう困難ではあるまい。
たびたびふれてきたが、岩波書店からの退社は「自由になる時間が欲しいと思って」(「帰潮」あとがき)のことであるが、生活の糧をどこに求めるか。独力ではじめた出版社・養鶏。これらは「ひとつとして成功せず」(同)貧困のそこに陥った。
それでも1945年(昭和20年)に佐太郎の周りに集う青年たちを中心に歌誌「歩道」を創刊、1948年(昭和23年)には活版印刷化しているから、作歌の地歩は確実にかためていたのであって、「帰潮」はその具現化と言える。そこにいたるまでの労苦は想像に難くない。
ここでいう「闘争」とはそれら一切をふくむのであろう。佐太郎の戦後は、貧困とのたたかい、雑誌創刊をめぐる労苦、「純粋短歌」と呼ばれる歌体に達するまでの葛藤の連続だった。
「佐太郎を囲んでの勉強会での指導は厳しかったが、小さな部屋で膝をつきあわすようなものだった。」
などという話は、佐太郎の複数の初期の直弟子のかたから聞いた話である。佐太郎にとって歌を詠うのは真剣勝負であり、「闘争」と呼ぶのもそんなに大袈裟ではなかったはずである。