「角川書店賀詞交換会」 於)東京会館
当日の構成は2部構成だった。
第一部は「角川短歌賞」の受賞式。第2部は「新年会」だった。
今年の「角川短歌賞」の受賞者は、二人。吉田隼人、と伊波真人だった。選考委員を代表して、永田和宏が選考経過を報告した。角川短歌賞は50首詠だが、その中より数首を挙げて紹介しよう。
吉田隼人:
「はしやぎにくさうに喪服ではしやぎゐる僕の知らない君の友だち」
「おしばなの栞のやうなきみの死に(嘘だ)何度もたちかへる夏」
この2首をあげて永田和宏は「恋人の死(自死)をどううけとめるか、インパクトの強い一連」「じたばた感に真実観がある」などと批評した。この作者の一連は島田修三が強く推したそうだ。永田和宏も推してはいるが、最上の評価ではないという。
「棺にさへ入れてしまへば死のときは交接(まぐは)ふときとおなじ体位で」
「いくたびか掴みし乳房うづもるるほど投げ入れよしらぎくのはな」
この2首は「正直だが過剰だ」と永田和宏は言った。
僕としては、主題が明確で、優れた一連という印象を持った。
伊波真人:
全体を通して、永田は「インパクトは低いが、作品の完成度が高い」「表現がよい」
「○が1番たくさんついた」と述べた。
さらに次の2首をあげた。
「画用紙に表と裏があるように心にもあるざらついた面」
「改札で遅延放送きいているスピーカーのある位置を見上げて」
永田の批評。「はっと気づいたところがよい」「何気なく、さりげないところがいい」などと批評した。
僕としては、テーマ性がやや曖昧でその点、違和感があったが、ライトヴァース、ニュウウェーヴの影響が全くないので、評価に値すると思った。
最後に、「角川短歌賞」には「1首の完成度」「50首1連の意味」「声がまっすぐ出て行くような歌を」などと述べた。これは応募者にとって大きな参考になるだろう。
次に第2部の「新年会」。
ここでは「星座」の尾崎左永子主筆をはじめ、「星座」の会員に再開した。
また俳人の高橋信之氏にお目にかかった。このブログをよく読んで頂いて、特に、「藤原龍一郎氏へ応える」(「カテゴリー・茂吉、佐太郎原論」)を、評価して頂いた。「短歌や俳句といった伝統詩形にあっては『戦争とのかかわり』が避けて通れない、ブログの記事の内容を公にしたほうがいい」と言われた。僕もいずれ纏った評論にするつもりだったので、大きな励ましとなった。また「花冠」357号、高橋久美子句集「手袋の色」を頂いた。俳句も勉強しようと思っている僕の好いきっかけをくださったと思う。
最後に小池光氏に僕の質問を直接ぶつけた。
「小池さん、著書を読まさせて頂きました。2・26事件の青年将校にシンパシーをお感じですか。」小池氏は「うーん。難しい問題だねえ。」と言われた。「NO」という言葉はついぞ聞かれなかった。
2・26事件の青年将校は、ファシストでありテロリストだ。彼らにシンパシーを感じる平和主義者などいる筈もない。いるとすればそれは、エセ平和主義者だ。
のみならず、政党に対する懐疑が広がり格差社会が広がった現代社会にあっては、こうしたシンパシーは、自衛隊のクーデターを呼び込みかねない危険な思想である。藤原龍一郎氏は「現在の『短歌人』には、斎藤劉の影響は皆無である」「『短歌人』のなかに、斎藤劉を庇って斎藤茂吉の戦争責任だけを追求する風潮はない」と断言されたが、いみじくも小池光氏の、直接の言葉で、そうでないことが、明らかになった。
これは、後日まとまった評論に仕上げるつもりである。