(有)猫森集会 主張公演 日吉 CalenderCafe
CalenderCafeは、東急線の日吉駅の近くの小さなライブハウスだった。コンクリートの打ちっぱなしの様な天井、そして、そこにかかっている裸電球。音楽をこよなく愛する若者たちの発表の場である。
2013年8月5日、三組の「ミュウジシャン」が揃った。20代を中心とする彼ら、彼女らの音楽は叫びに近いものだった。そうだ、「叫び」だった。
デフレスパイラルの中で、展望を失った若者の叫びだ。オリジナルの曲もあった。カヴァーの曲もあった。だが選ばれた曲は、皆、「叫び」だった。
まだまだ「ミュウジシャン」の卵。声量があるから、ブルースを歌えば冴えると思われる者。好きな帽子が似合うかどうか分からないように、自分の音楽を模索している彼らだった。
僕を招待してくれた人はまだ、20代。なんで、中年の僕に御指名があったのかわからなかったが、行ってみてわかった。その人は自分の表現を模索している最中で、誰かのアドバイスが欲しかったのだ。
「私、表現者になりたいんです。」「マンガ家にもなりたかった」「芝居をやろうという御誘いもある」「絵をかくのも好きです」「短歌や現代詩も書いています」「音楽も好きです」つまりは、自分に合った表現を探しているのだ。
僕に出来ることは一つ。体験談を話すことだった。歴史学、経済学、色々と本を読んだが、どれも自分にしっくり来ない。結局「短歌」という表現方法にたどり着いた話。短歌に辿り着いた経緯と必然性、僕自身の資質。そこに至るまでの時間。いつ、どんなアドバイスを誰にもらったか、こんなところにも話は及んだ。
「吐き出すがいい」と僕はそういった。「自分の持っているものを全部吐き出して、立ち返ってみると方向性が見えてくると思うよ」「自動車の教習所でブレーキが遅いと言われたことがある。ブレーキが遅いのは、十分に加速していないからだと言われた。だから自分の持っているものは、今全部吐き出してしまえ」
「つまり、いったん出して、自分に帰っての繰り返しですね」どうやら話は通じたようだ。10年後の彼らがどうなっているかが、楽しみだ。また、その人からは、現代詩の朗読会のお誘いも受けている。今度は「詩人」としての彼女にであえるだろう。それもまた楽しみだ。