このブログの記事「斎藤茂吉の汎神論的写生」の記事で既に書いたが、茂吉の作品にはある種の「祈り」のような趣がある。古代文学の研究者である西郷信綱が斎藤茂吉に関心を示し「斎藤茂吉」という著書を残したのも、古代文学に色濃くある「言霊思想」と無関係ではないだろう。
同書の「序文」によると次の通りである。
「その一撃は、斎藤茂吉の自選歌集< 朝の蛍 >という改造文庫本(定価二十銭)を、たまたま読んだことから来た。」
と学生時代を振り返る。古代文学の研究で知られる西郷信綱が大学の学部生だったときから斎藤茂吉に惹かれていたことを独白する。
また「狂人守の悲しみ」「恋歌・おひろ」「挽歌・死にたまふ母」の章ではあちこちで万葉集・万葉人・万葉語と斎藤茂吉の作品の共通性を指摘する。
つまり、西郷信綱は斎藤茂吉の作品の中に「古代的なもの」を見出していたのだ。
ところが、斎藤茂吉の「赤光」に対し少なくない近代文学者が共感している。ここを西郷はみのがしていない。
芥川龍之介・佐藤春夫・中野重治・山口誓子の著書や年譜からの引用によって、近代文学へ斎藤茂吉があたえた影響を述べている。
これらは斎藤茂吉の「近代的なもの」といっていいだろう。
「古代的なもの」と「近代的なもの」の不思議な同居。これも茂吉のもつ「二重性の世界」と言えるのではないか。「古代から近代まで」。この幅の広さが茂吉の作品に対する評価の普遍性につながると思うが、いかがだろうか。