齊藤茂吉の初期の作品には、思いがけない言葉の組み合わせがある。すでにいくつか紹介したが、これを「二重性の世界」と西郷信綱は呼ぶ。その著書「斎藤茂吉」のなかでも同名の章を一つ立てている。
一首のなかに二つのものが表現されていて、その二つのものがぶつかり合って一つの鮮やかな印象を結ぶ。これには塚本邦雄も気付いていて「茂吉の力技」と呼ぶのだが、その力技とは言うまでもなく力んでいるのではない。あまりにも見事なので「力技」なのである。
「赤光」だけでも「赤茄子と歩む道」「涙と鶴の頭」「ゴオガンの自画像と少年期の記憶」「めん鶏と剃刀研人」「上海動乱と鳳仙花」・・・。ほとんどが所謂「疎句」であるが、「親句」のなかにもある。
重要なのは、それら二つが一つの印象を鮮明に浮かびあがらせていること。佐太郎に「疎句」はほとんどみられないが、二つのものを詠み込むことによって印象鮮明に表現する手法は受け継がれたようである。
「私は中国の詩を読んでいるうちに、二つの物のあいだの関係を緊密にするのが詩の方法であることを悟った。」(佐藤佐太郎「作歌案内」S41)