・うつせみの命を愛しみ地響きて湯いづる山にわれは来にけり・
1920年(大正9年)作。「つゆじも」所収。
一般論として「旅行詠」は難しい。見るもの聞くもの珍しく感じられるからである。茂吉もその例外ではなかったようだ。
家の向こう隣りには孤児院があり、造船所・長崎の港・唐寺・キリシタンの洗礼名の刻まれた墓石・サボテン・唐津の浜・・・。「つゆじも」の中に茂吉の代表歌と言われるものがないのは、そうした珍しさに捉われているからだと僕は思っている。
だが目立たないながら、注目すべきものがある。既に巧みな遠近感の表現は記事にしたが、「病中詠」に秀歌があるように思う。
冒頭の一首は、佐藤佐太郎著「茂吉秀歌」・長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」・塚本邦雄著「茂吉秀歌・(つゆじも)から(石泉)まで百首」のどれにもとりあげられていない。積極的に長崎の文物を詠んだのは「当時の作者の新しく志向した境地」(佐藤佐太郎)とも言えるが、「大半は手帳の歌」であることから、評価はあまり高くない。
茂吉はこの年、1月に流行性感冒を病み、6月には喀血して入院。7月に雲仙での転地療養をした。島木赤彦は茂吉を励ますべく長崎に見舞いに行き、転地療養を勧めたのも赤彦だったそうである。(「作歌四十年」)
この一首。三句目・四句目の「地響きて・湯いづる山」という表現が効いている。初句と二句の「うつせみの・命を愛しみ」は三句以降の展開によっては表現が甘くなる。「地響きて」「湯いづる」の表現によって、一首に重量感が出た。「雲仙」という固有名詞がないのも成功している。
なお「愛しみ」の読みは「をしみ」である。「命いとしみ」ではやや弱い。このあたりが文語の効用というものだろう。