「赤光」より「狂人守」
・うけもちの狂人も幾たりか死にゆきて折々あはれを感ずるかな・
この一首は、斎藤茂吉が受け持ちの患者の死を悼んだもの。「狂人」という言葉は、現在は「差別語」とされている。しかし、この一事をもって「斎藤茂吉が患者を差別の目」で見ていたことにはならない。
「狂人守」の一連のうしろに、「葬り火」という一連があるが、これを読めば、斎藤茂吉が、いかなる気持ちで患者に接していたかが分かる。
「葬り火」
・あらはなる棺はひとつかつがれて隠田ばしを今わたりたり・
・自殺せし狂者の棺のうしろろり眩暈して行けり道に入り日あかく・
・たのまれし狂者はつひに自殺せりわれ現なく走りけるかも・
この一連を読んで明らかなように、斎藤茂吉は、患者の死を、悼み、悲しみ、詠嘆をしている。しかも「人間はいつかは死ぬ」という普遍的テーマにまで、作品を昇華させている。
先ずは、塚本邦雄の言を紹介しよう。
「(患者の死に対して)怯みと怖れと自戒とが微妙に読者にも伝わって来る。その野辺の送りのシーンは、日本近代絵画に散見する構図だ。ゴーギャンあたりの画風が、曲折の末影響しているのだろらうか。」(塚本邦雄著「茂吉秀歌『赤光』百首」)
次に国文学者の言を紹介しよう。
「『生』のかなしみに直通して、全く特異にして強烈な『生』の意識を形成せざるを得なくなるということである。・・・(狂人守は)異常な『生』のなかに置かれてあるおのが身の悲しみへの凝視がある。・・・結局は生きなければならぬのが人間の道理である。かくてここに、かなしみの底からの深さだけ熱烈に『生』の欲求がいちあげられねばならぬことになる。」(梶木剛「斎藤茂吉」)
斎藤茂吉は「生」の悲しみと、あわれ、「人間はいつかは死ぬのだ」と、患者の死を、自分の、ひいては人間の、避けられぬ問題として作品化しているのだ。ここのどこに差別を感じるのか。そういう言をする人は明らかに読み違いであり、斎藤茂吉に対する「ためにする非難」と言わざるを得ない。
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