『時代の転換点に立って』という著作があったと記憶している。誰の著作かは失念した。1980年代だったと思う。だが21世紀にはいって文字通りの転換点に立っているとつくづく思う。このブログには「歴史論」と「エッセイ」という二つのカテゴリーがある。投稿するときどちらのカテゴリーにするか迷うことが多くなった。
戦後初めてのことが立て続けに起こっている。自衛隊が海外で公然と武力行使できるようになった。立憲主義を理解しない人が首相をしている。それもかなりの長期政権だ。与党の幹部が「国民主権」「戦争放棄」「基本的人権の尊重」に異を唱えている。それに対し立憲四党と呼ばれる野党共闘が保守と革新の枠をこえて構築されようとしている。
象徴的なのが沖縄だ。衆議院の議席で考えよう。沖縄第一区が日本共産党、沖縄第二区が社民党、沖縄第三区が自由党、沖縄第四区が元自民党県連の会長が野党の統一候補となっている。参議院2013年の選挙で社会大衆党の候補が勝った。2016年の選挙では米軍基地反対の無所属候補が野党統一候補として勝った。いずれも自民党の現職議員を破っている。沖縄から選出された自民党の国会議員はゼロになった。
本土の野党共闘。戦争法反対の院内共闘から発展して「立憲四党」と言われるまでになった。国政レベルの長期にわたる共闘は初めてだ。それがまた保守と革新の枠を超えたものとなっている。保守と革新が共闘している。俗にいえば「右も左もない」のだ。では与党はどうか。与党の主張は極右の主張だ。「国のために血を流せ」「徴兵制に従わないものは死刑」「ナチスの手法に学べ」ひと昔なら閣僚の首が飛んでもおかしくない発言が飛び出している。だがそういう内閣が高支持率を維持している。「時代の危機」と言われているのにだ。
今年90になる母が言う。戦争が始まる前はこんな感じだった。世の中に実感がないのに気が付いたら戦争が始まっていた。もはや戦後ではないという人もいる。大きな戦争の前だという意味だ。僕が大学の歴史学で学んだ戦前の状態に近い。よく似ている。そっくりだ。特定秘密保護法、盗聴法、そして、共謀罪。言論の弾圧と統制も進んでいる。
原子力産業と兵器産業。これが経済の柱となってきている。原発のプルトニウムは核兵器の核弾頭の更新につかわれている。こういうのを軍国主義と言うのではなかったか。
僕が中学時代に技術のレポートで原子力開発について書けというものがあった。「原子力の平和利用」を授業でうけたばかりがから、僕は「原子力開発は平和利用に限定してほしい」とレポートを結んだ。そのときに「岩田、原子力の平和利用なんかだめだぞ。」と明言した友人がいた。たしか父親が通産省関係の仕事をしている友人だった。僕が「なぜ」と聞くと明確な答えはなかった。その友人が原発に反対している形跡はない。
一体どうなるのだろう。だがこれだけは言える。「今、声をあげなければ歴史に責任を持ってこの時代を生きていたとは言えない。」未来への道は開かれている。立憲四党と市民連合の幅広い協力関係が出来ている。この道を広く深くしていかねばならないだろう。
こんな時代に生きているうちに遭遇するとは思わなかった。僕にできることを精一杯するしかないだろう。