「第1回北ノ聲」第1日 10月3日(金)
「第1回北ノ聲」に参加するために、北海道へ行った。羽田空港から飛び立ち、千歳空港に着くと、もはや、空気が違っていた。植生も違っていた。白樺、ダケカンバの森が続く。道のわきの植栽に、紫の花が目立つ。空港から「聲を撃つ」スタジオまでバスを走らせたが、その途中にアイヌ由来と思われる名前の橋を何本も渡った。
第1日の会場は、苫小牧の「HIARATAアートスタジオ」だった。15畳ほどの広さ、その頃には雨が降っていた。苫小牧駅から、二人の詩人とタクシーで会場に行った。
「HIARATAアートスタジオ」は、北海道の詩人、森れいが主催するスタジオである。朗読会、絵画などの個展が開かれる。そこに7人の詩人が集まった。東京の原田道子、神奈川の岩田亨、京都の福田知子、札幌の渡辺宗子、小樽の長屋のり子、苫小牧の森れい、千歳の綾部清隆。東京側の事実上のプロデューサー、天童大人は、イランの国際詩祭から、帰宅せずに北海道へ直行。開会の時は、会場へ向かう途上だった。
7人の出番の順番は、その場で決められた。司会は森れい。僕の出番は2番目。初めての会場、しかも初めてのアウェイでの公演だったので、かなり緊張した。僕が読んだ作品は「うた新聞」9月号の「意思表示5首」を皮切りに、「星座」誌上に発表した約100首。一人あたり10分の持ち時間だったので、事前の練習で、100首が相当と見当をつけていた。
多人数で「聲を撃つ」のは、初めての経験。一人ずつ「聲を撃つ」につれて、会場の空気が渦を巻くように変わって行くのには驚いた。自分が「聲を撃った」あとから、気持ちが高ぶって行くのを抑えられなかった。
僕以外の詩人は、長年に渡って詩作に携わっているベテラン。作品の完成度も高い。様々な作風だが、それぞれ、その人ならではの作風が定まっている。当たり前と言えば、当たり前なのだが、その迫力に圧倒された。
天童大人が中々到着しないので、やや気をもんだが、やがて雨の中タクシーが到着。天童の出番の数人前だった。イランからの帰国直後だったが、いつものように他を圧倒する、声量、聲に力があった。
会場が盛り上がって、予定時間を越えてしまい、夕食の弁当を食べる時間がなくなったので荷物と弁当を片手に、会場を後に小樽へ向かった。小樽の「白鳥番屋」では、石狩在住の大島龍、東京の後発部隊の、田中健太郎が待っているはずだった。
小樽へ行く途上で、蝦夷鹿が前方の列車飛び込み、列車が運行休止となり、2時間近く列車の中で、待たされた。そこで長屋のりこが、車の手配をしてくれて、何グループかに別れて、小樽の「白鳥番屋」に向かった。
かなり遅くなって、「白鳥番屋」に到着し、そこで懇親会が開かれた。北海道の詩人からは、「いい聲をしている。」と言われ、京都の詩人からは「久し振りに聲を聴いて、その変化に驚いた。」と言われた。
僕もそこで、初めて自覚したのだが、読みながら、自分が自分でないように感じ、自分の作品が自分の作品でないように感じた。この日に読んだ作品は「詩人の聲」の10回、11回公演で読んだ作品に何度も手を入れたものなので、完成に近づいたと言うことか。
この不思議な感覚が、実は、僕にとっての大きな変化の一つだったのだが、それは後でわかること。この時は未だ不思議な感覚という自覚しかなかった。
(続く)
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