ずいぶん暇な人間だと思われても困るのだが、佐太郎の主要作品から「酒」に関する作品を数えてみた。(角川書店「佐藤佐太郎秀歌」より)
その結果。自選歌集の中には酒の歌は案外少ない。若いころ浅草界隈を遊び歩いた作者(今西幹一「佐藤佐太郎」桜楓社刊)だから、遊びのことも様々知っていたに相違ないが、これも作品の題材とはなっていない。おそらくこのあたりに佐太郎の題材の選び方の基準のようなものがあったのだろう。自選歌集ならばこそ、酒の歌は意図的に外したのだろう。
さてそこで肝心の「酒の歌」である。すでに紹介したものと重複するものもあるが、列挙してみる。
・電車にて酒店加六に行きしかどそれより後は泥のごとしも・ 「歩道」1936年(昭和11年)27歳
・街上のしづかに寒き夜の靄われはまづしき酒徒にてあゆむ・ 「帰潮」1949年(昭和24年)40歳
・きぞの夜の酔さめをりて形なき不安をいだく冬の一日・ 「帰潮」1950年(昭和25年)41歳
・さわがしき中に酒をのむ悦楽のたとえば貝にこもる潮音・ 「地表」1952年(昭和26年)42歳
ここから何が分かるか。歌に詠まれた「酒」は決して楽しい酒ではなかったということである。「まづしき酒徒」「不安」「貝にこもる」といった表現にそれがあらわれている。それどころか、孤独や不安を払拭するための酒だったようである。そこに作者の心情が込められているし、うさ晴らしの歌ではないことがわかる。
そしてもう一つ。42歳を境に「酒の歌」が姿を消す。43歳で第二回読売文学賞を受賞し、毎日歌壇の選者となって、生活の基盤が出来たことと無関係ではあるまい。
門弟を率いての酒宴もあったであろうが、それは「楽しい酒」であり、佐太郎にとって、短歌の素材たりえなくなったのだろう。
そして57歳で鼻よりの出血のため入院・越年。64歳で軽い糖尿病。66歳で脳血栓とくれば、もはや深酒は無理であったろう。
佐太郎にとっての酒はそういうモノだったのである。