岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

法隆寺夢殿を詠う・佐藤佐太郎の短歌

2011年04月28日 23時59分59秒 | 佐藤佐太郎の短歌を読む
・夢殿をめぐりて落つる雨しづくいまのうつつは古(いにしへ)の音・

「群丘」所収。1956年(昭和31年)作。岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」107ページ。


 佐太郎による自註。

「法隆寺夢殿の軒から雨のしずくが直接にしたたっているところ。中の仏像も往古のままだが、雨だれの音は古の人の生活までしのばせる。随処に主となる態度があればどういう条件にも不満はない。」(「及辰園百首」)

 法隆寺は世界最古の木造建築だが、その東院にあるのが夢殿。そこから雨しずくがしたたっている。その音が作者の耳に届く。現在進行形のおとである。しかし、その音は創建以来何百年の間、雨が降るたびに繰り返されているはずだ。

 そこに作者の主観がはいる。下の句の表現「いまのうつつは古(いにしへ)の音」。「うつつ=現実」だから、

「今目の前の現実は、古(いにしえ)の音である」という意味になる。

 理屈からいえば明確な誤りである。そこを言いきったところに詩的把握がある。

「あの雨音は古より続いていただろう。」では興ざめである。この下の句表現が作者の主観であり、この一首の核心である。佐太郎の作品には「上の句=実景・下の句=主観」「上の句=主観・下の句=実体」というものが少なくないが、この「主観」の部分が常識的でなく、作者ならではの感受、発見があるところに特徴がある。

 もし「主観」の部分で失敗すればたちまち駄作になるのだが、そこが非凡な者のなせる技だろう。斎藤茂吉の作品には様々な特徴があるが、この「客観・主観」の一体的表現を貫いたのは、佐藤佐太郎のオリジナルである。




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