・夢殿をめぐりて落つる雨しづくいまのうつつは古(いにしへ)の音・
「群丘」所収。1956年(昭和31年)作。岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」107ページ。
佐太郎による自註。
「法隆寺夢殿の軒から雨のしずくが直接にしたたっているところ。中の仏像も往古のままだが、雨だれの音は古の人の生活までしのばせる。随処に主となる態度があればどういう条件にも不満はない。」(「及辰園百首」)
法隆寺は世界最古の木造建築だが、その東院にあるのが夢殿。そこから雨しずくがしたたっている。その音が作者の耳に届く。現在進行形のおとである。しかし、その音は創建以来何百年の間、雨が降るたびに繰り返されているはずだ。
そこに作者の主観がはいる。下の句の表現「いまのうつつは古(いにしへ)の音」。「うつつ=現実」だから、
「今目の前の現実は、古(いにしえ)の音である」という意味になる。
理屈からいえば明確な誤りである。そこを言いきったところに詩的把握がある。
「あの雨音は古より続いていただろう。」では興ざめである。この下の句表現が作者の主観であり、この一首の核心である。佐太郎の作品には「上の句=実景・下の句=主観」「上の句=主観・下の句=実体」というものが少なくないが、この「主観」の部分が常識的でなく、作者ならではの感受、発見があるところに特徴がある。
もし「主観」の部分で失敗すればたちまち駄作になるのだが、そこが非凡な者のなせる技だろう。斎藤茂吉の作品には様々な特徴があるが、この「客観・主観」の一体的表現を貫いたのは、佐藤佐太郎のオリジナルである。