第一歌集を出した頃、或る約束をした。相手はN先生。第三歌集までは出すということだ。
「第一歌集は必死、第二歌集は夢中、第三歌集で自分の味が出る。」
と言われた。
その通りになったかどうかは分らないが、とにかくここまで続けたというのが正直なところ。だがいくつかの発見はあった。
先ず第一。力むより、静かに深く詠んだ方が、心に沁みる場合があるということである。このブログの記事にも書いたが、川島喜代詩氏の歌集を読んだためでもある。第二歌集「オリオンの剣」には、「運河」「星座」の両誌で目立って評価された作品を集めた。というより集めざるを得なかった。本当は、緩急をつける必要があるのだが、体調が許さなかった。
だから緊張感はあるが「息苦しい」との批評をされた。いわば「張りつめた弦」のようだったのだろう。本人としては好きなのだが。
次に第二。原作をかなり推敲した。これは「東京歌会」で山内照夫氏から学んだことだ。かねてから、5W1Hのうち、1H(HOW 「どのように」)を大事にせよと言われていたが、それをどうしたら表現できるかはよくわからなかった。
それを学んだのが山内氏の歌会だった。むかし佐太郎から新入会員の選歌を任されたというし、基本を学ぶなら、「オーソドックスな山内氏」とも聞いていたが、その通りだった。
最後に第三。「新仮名、混合文体(文語7:口語3)」が今の僕にあっているということの発見だ。いや発見させられたという方が正確だ。
これは読者からの指摘による。若い世代にとって「読み易い」のだ。これは「新カナ・旧カナ」の記事にも書いたが、短歌という詩形を次の世代にバトンタッチするには、これが必要だ。今度の歌集で確信した。もうこのことで、迷うことはない。
だから「大きな収穫」の歌集となった。歌集を出して初めてわかることが多いものだ。「夜の林檎」「オリオンの剣」「剣の滴」。みなそれぞれ発見があった。
これからはどんな発見があるのだろう。
歌集から評判のよかった作品を幾つか挙げておく。(収録歌294首)
・砂丘(すなおか)の砂は形を持たずして風ある時はかぜにしたがう・
・ひそやかに物陰に咲くドクダミをベツレヘムの地の塩に例えん・
・冬の陽がグラスの中に屈折し描く楕円はわが新世界・
・昼過ぎの地に列をなす蟻を見て不意に思えりローマの奴隷・
・逆さまにその身を置ける蜘蛛の居て放射状なる白き糸うごく・
自分で気に入っている作品。
・ゆるやかに坂道くだるかたわらに不意に鳴きやむ森のかなかな・
・八丈の流され人の評伝を読み終えて迎える朝の光眩し・(「近藤富蔵伝」)
・地を叩く雨の激しき夕暮れにゆずらぬさまに向日葵(ひまわり)が咲く・
・静かなる終(つい)の儀式を風葬としたきわれなり砂漠が羨(とも)し・
・肉体を自然の中に戻さんかわが屍(しかばね)は鳥葬とせよ・
何だか「死」を予感させる作品が多いが、これも病気療養中のせいだろう。
最後に、頂いた葉書や手紙にあった最も印象的な言葉を書いておく。
「確かに見て記憶の中のものを再構成するという手法が印象に残りました。」
そうか叙景歌の魅力をこう表現することも可能なのか。またひとつ教えられた。
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