岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「短歌研究」5月号:「記録する文学としての短歌」

2012年04月24日 23時59分59秒 | 総合誌・雑誌の記事や特集から
 この特集の103人の歌人のうちエッセイを書いているのは、約半数の50人。それがそれぞれ一首鑑賞になっている。その鑑賞の角度が「記録としての短歌」だった。

 いくつかの短歌作品とエッセイの核心を書きだしてみよう。

・一つの国一つのたましい枉(ま)げがたし燔祭(はんさい)の火の降るに戦う・坪野哲久
 
 戦時中の作品。「燔祭(=ホロコースト・古代ユダヤ教の儀式に語源がある。)」

 「短歌における記録の課題は<対象の息吹を紡ぎ得るかどうか>にあると言ってよいだろう。詠まんとする現象がいかなる息吹を上げているか、はたまたいかなる息吹を潜めているか、この息吹の掬い上げが映像よりも深い感動をもたらす。」

 (=どういう息吹をどうすくいあげるかが問題。戦中の検閲のもとにつくられた短歌を例に出すのは、どうかと思う。検閲のもとの「時局詠」は、虚構であり記録ではない。)


・くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川・竹山広

「短歌も記録する文学の一形態だ。・・・竹山広も多分何の疑いもなく、その大前提のもとに作歌していたと思う。・・・この一首に表現されているのは、長崎原爆での実体験である。」

 (=すぐれた記録文学。視点が明確だ。)

・漠然と恐怖の彼方にあるものを或いは素直に未来とも言ふ・近藤芳美

「散文で記録するのと・・・定型の短詩、つまり短歌で記録するのとでは、各々特質がある。短歌でやってみるとわかるのは、韻律といふか調べといふか、音楽的な要素が加はるといふことだ。作者が、調べ豊かに記録するのを、散文のやうに細かく詳しく記録するのより好むといふことがあるのだらう。」

 (=近藤芳美らしさが出ている作品。「歴史と対峙する知識人の苦悩」。)


・野戦病院の墓原に雪の降りしきり「雪やこんこん」を歌う兵たち・川口常孝

「戦争における諸々を強者と弱者とに峻別し、つねに自分を弱者の側に置いてその事実を視つづけた。数ある戦争文学の中でも、短歌による把握と表現に、その独自性が思われる。」

 (=戦争に加わる兵士のひとつの実像。痛々しいが、この兵士より弱者だった者。東アジアの諸民族の戦争による死。2000万人を忘れてはなるまい。)


・児がために求めしならむ風車老いたる兵の吹きほけてゐる・香川進

「敗戦直後の作品であり、歌意は説明するまでもなかろうが、児のために求めたのであろう、風車を老いた兵が夢中になって吹いている。そこには敗戦とはいえ戦の終わった解放感と安堵感がうかがわれ、その奥に『生』と『死』の重さが感じられる。」

 (=これも前の作品と同じ。)


・ふかぶかと雪とざしたるこの町に思ひ出ししごとく「永霊」かへる・斎藤茂吉

「深い雪にとざされた町に、戦死者の遺骨か遺品が、「英霊」として帰ってくる。それも思い出したように、間をおいてである。町や近所の人は、戦時中と同じように迎え弔ったのであろう。・・・寂しいが豊かで、奥深いものを感じさせる。」

 (=痛切だが、これも同じく。)



・新しき国興るさまをラヂオ伝ふ亡ぶるよりもあはれなるかな・土屋文明

「土屋文明は日本中が満州建国の奉祝の報道で丸浸しになり、国民精神が昂揚している時期に右の短歌を詠んだ。立派な歴史観による時代認識であり、洞察力である。」

 (=建国奉祝の底にあるものを掬いあげた。リアリズム。)


・子か母か繋ぐ手の指離れざる二ツの死骸水槽より出(い)ず・正田篠枝

「掲げた歌は第二次大戦末期、広島に投下された原爆で被災した人の詠んだ多くの歌の一つ。・・・記録に値するものは記録として残る。が、記録しようと詠んでもそれに値しないものは消える。」

 (=「値するものは残り、値しないものは消える。」重要な発言だ。)


・DDT を身の前後より吹き掛けられ顎で指示され船より降りぬ・来嶋靖生

「時局詠とか社会詠などという名で括られる短歌作品の中に、記録として残したいものが数限りなくある。時代の語り部として、どの時代にも歌人はそれを詠み残してきた。・・・何年経とうと詠むべきは詠んでおこうというのが偽らざる思いであろう。」

 (=「詠むべきは詠んでおこう」この意味がわからない。作者もそうは思っていないだろう。)


・灰原をふみつつ人の群れゆけり生きたるものも生けりともなし・島木赤彦

「赤彦は九月三日に食糧品五貫目を背負い夜に諏訪を出発し、塩尻駅と篠井駅の乗換えに約十時間も費やし、五日に大宮から徒歩で七、八里を歩いて東京に着いた。日本橋下にも外濠にもまだ屍が浮かんでいた、という。赤彦の歌は大正末期における記録する短歌の端緒ともなった記念すべき歌といえる。」

 (=島木赤彦の「客観写生」は、土屋文明の「リアリズム」と共通点がある。)


・開戦のニュース短くをはりたり大地きびしく霜おりにけり・松田常憲

「時は昭和16年12月8日、朝7時のラジオの臨時ニュース。米英との太平洋戦争への突入である。当時の日本を思う時、『大地きびしく霜おりにけり』には事実を超える象徴性があり、詩的真実を示している。」

 (=歴史の重い事実だが、普遍性はあるか。アジアでは2000万以上の人が死んだ。それについて日本は加害者の立場にある。)


・学徒みな兵となりたり歩み入る広き校舎に立つ音あらず・窪田空穂

「掲出の一首は学徒動員で、大学から学生の姿が減少してしまった寂しさを歌った空穂の作である。・・・この空穂の作も記録を目的としたものではないが、貴重な記録。」

 (=記録ではあるが、記録しようと思って詠んだ訳ではあるまい。)


・ぬばたまの夜に入れども応へざる都はひとのはた生きてありや・中村憲吉

「大正12年の関東大震災を題材にした歌のなかで、緊迫感の感ぜられる作品として、よく取り上げられるのが、中村憲吉の詠んだ連作20首である。・・・自分自身に生命の危険が迫った状況での詠歌ではないけれど、それだけに冷静に震災の一面を記録することができたといえようか。」

 (=結果として記録になったのだ。)


・陸橋にさしかかるとき兵来れば棺はしまし地(つち)に置かれぬ・斎藤茂吉

「茂吉が担当していた患者が亡くなってしまった。陸橋は山手線に掛かる陸橋だろう。青山の病院からさびしい葬列が陸橋を越えて代々木の焼き場へ向かう。陸橋を渡ろうとした時、向こうから兵士の一隊が行進してきた。・・・そのとき事の当然として葬列が道を譲った。・・・地に置かれた棺の脇を、目もくれず兵士らは行軍していったろう。」

 (=患者の命の重さを常に感じていた茂吉らしい作品だ。)


・泥濘に小休止するわが一隊すでに生きものの感じにあらず・宮柊二

「短歌の記録性と言えば、私は即座に宮柊二の『山西省』を想起する。短歌という文芸でありつつ、戦争の実相をこれほど濃密に描写し、記録し得たことにほとんど奇跡に近いものさえ感じるのだ。」

 (=戦後のリアリズムの代表作。代表歌集。)



 エッセイの執筆者の名は活愛する。表現はそれぞれだが、あげられた作品の共通点は「抒情詩であること」「記録が目的ではないこと」「自分自身の問題として詠んでいること」「作品に切迫感があること」などだろう。自分の体験だけではない。だが、本で読んだ知識などでもない。

 いわば「対象との心の近さ」ということだろう。こそに「社会詠」の難しさがある。そしてこれが最も重要なのだが、「何に、どのような心を寄せるのか」。これが問題だ。


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