・のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり・
「赤光」所収。1913年(大正2年)作。
「死にたまふ母」と詞書がある。「其の一」から「其の四」に至る59首の大作。近代屈指の挽歌といわれるがその中でも、人口に膾炙したもののひとつ。
「のど赤き玄鳥(=つばくらめ)」について僕は餌を求める幼鳥かと思っていたが、「つばくら=翼がくろい」が語源。(西郷信綱「斎藤茂吉」)。茂吉も「作歌四十年」で「梁に雌雄の燕の成鳥がいた」と書いている。
「燕の喉の中まで本当に見えたのか」と言うのは塚本邦雄である(「茂吉秀歌・< 赤光百首 >」。
一連の中に「遠田のかはづ」を詠んだものがあるが、これは「蛙の発情期の有様」をさし生命の誕生を連想させる。玄鳥の喉が赤いというのは、日本画で燕の喉が例外なく赤く描かれていることと、「赤」が「命」をあらわす色ということを考慮する必要があろう。「母の死」を詠みながら、「生と死」に思いをめぐらせている。
また「梁屋=はり」の燕という描写は、複数の能楽の曲に出てくるし、白楽天の漢詩には「梁上ノ鴎」というものがある。ヒヨドリ・スズメなど人里に住む野鳥が人間の生活を見守っているように思えるのは、日本にも中国にも共通しているらしい。
斎藤茂吉がこれらのことを意識していたかどうかは分からぬが、「上の句も下の句も直線的・素直に詠んだ」(「作歌四十年」)だけではないようである。
日本の詩と中国の詩のなかでの、物の感じ方については別の記事に書きたいと思う。心情を表す象徴としての動物の詠み込みの問題について。