佐藤佐太郎は1966年(昭和41年)の年末に鼻出血のため入院。翌1967年(昭和42年)1月6日に退院。病院で正月を迎えた訳だが、それをどう詠んだのか。「介護短歌」があまた詠まれる現代に何か参考になることはないか。佐太郎にとってもひとつの転換点になった。「老い」を感じ始めたようだ。作品5首をあげてみよう。(佐太郎57歳)
・暁の部屋にいり来しわが妻の血の香を言ふは悼むに似たり・
・病院の第五階にてわが窓はおほつごもりの夜空にひたる・
・鹹き(からき)血のにほひのなかに逝く歳を守るともなくわれは覚めゐき・
・血のにほひとどこほるらし朝曇(あさぐもり)おくれて晴るる日々さむく臥す・
・隣室のかすかなる声きこゆれば旅のやどりに似たるときのま・
年譜と比べながらこれらの歌を発見したとき、僕は二つのことを感じた。
1、病気の状態をそのまま書き連ねてはいないことである。「悼むに似たり」「夜空にひたる」「逝く歳(行く年と言わないところにいみがあるのだが)」「日々さむく臥す」などである。
詩は病状=情報の伝達の手段ではなく、詩情を表現することが解る。事実を連ねること以上のものがある。
2、鼻出血での入院だけに「血のにほい・血の香」という語句が出てくる。佐太郎にしては珍しく生々しい表現である。僕の知る限りこのように生々しいのはこの時期だけだ。評価の分かれるところだと思うが、1で述べた表現の工夫がかろうじて詩としての成立を支えていると思える。
「旅のやどり」の一首は、病状の回復のせいだろうか、やや緊張感に欠ける感じがしないではない。いかがだろうか。