岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

僕の日本語論:敬語の考察

2010年02月12日 23時59分59秒 | 国語教育の現場から
小学校高学年で生徒が戸惑う敬語の単元は、次のような構成になっている。

1、丁寧語・・・「です」「ます」などの言い方。

2、謙譲語・・・へりくだった言い方で、相手に敬意を示す言い方。

3、尊敬語・・・相手を尊敬する言い方。

 生徒たちはこの三行の説明で頭をかかえる。第一「へりくだる」という言葉の意味が分からない。さらに専門的に言えば、丁寧語は「敬語」にははいらないという。ここは教科書にそって、丁寧語を「敬語」としよう。

 教科書には説明や例文がある。だがほとんどの生徒はそれだけではわからないという。なぜか。ふだん見聞きしていないからだ。国語は日本語。すなわち私たちが使う言語である。言語は記号ではない。意思の疎通のために使われることを前提としている。いや、実際に使われるなかで出来上がったものである。文法の知識だけで身に付くものではない。

 だから僕はごくごく単純化して教えることにしていた。これを僕は「敬語三原則」と密かに呼んでいる。

「尊敬する相手に対して、< です >・< ます >を使えば丁寧語。相手の動作なら尊敬語。相手に対する自分の動作なら謙譲語。」

 そのあと例文をたくさん読めば、教科書の「敬語」はほとんどカバーできる。練習問題も時間の許すかぎり取り組むが、「三原則」に沿って説明すると理解がはやい。これに当てはまらないものは覚えさせる。「これだけ覚えればいい」と生徒は思っているから、覚えがはやい。

 はやいと言っても、ふだん使わないものだから、なかなか身にはつかない。そういうときは、

「まずは丁寧語を使いなさい。そうすればだんだん分かって来る。」

 本当は、心から尊敬できる人を相手にした時に初めて敬語が習得できるのだが、最低限の知識は身につけさせなければならない。

「テストはこれだけ覚えていればいいからな。」

という「実践的」な話もする。このように四苦八苦しながら、現場の教師は教えているのだ。

 ところが、「敬語」の分類を増やすという議論が一部でなされていると、少し前の新聞の一面にあった。

 理由は「最近の子は敬語が使えないから」。

 それは逆だろうと僕は思う。これでは生徒が混乱するばかりだ。日本語の表記・使われ方の問題は、短歌を始め言語を通じた芸術の将来にも大いに関係があると思うのだが、いかがだろうか。






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