歌集「夜の林檎」の巻頭4首のひとつ。「星座」誌上で初めて、尾崎左永子主筆による「今号の北斗七星」に選ばれたもののひとつでもある。
僕は毎朝鏡を見る。病気をしてからは、特に念入りに見るようになった。顔色・目つき・表情のめりはりなど。ネット上の「人物風土記 タウンニュース」の項目に掲載されている写真は、病気療養に入る前年のもので、顔がややむくんでいる。
「タウンニュース」の取材、この時は<川崎市宮前区版>だったが、それより前、2005年の手術直後の<横浜・緑区版>の写真はもっと瘠せていた。健康状態は日に日に変化するので、なおのこと注意深く、鏡で顔を確かめる。
この一首、批評では「<いかん>という口語と見た。」とされたが、僕としては「如何に」のつもりだった。高校の漢文の読み方の習慣がついていたので、こういう表記になった。(楚の項羽の漢詩:「虞ヤ虞ヤ汝ヲ如何(イカン)セン」)
だから口語と受け取られるとは思っていなかった。口語で読むのと文語では意味が違ってくる。曖昧といえばその通りには違いない。しかし、どちらにとられても面白かろうと思ったことと、「星座」の「北斗七星」に初めてとられた「記念碑的作品」だったので、巻頭に配した。
「口語と文語の混合文体では意味がちがってくることを注意したい。」という条件付きの「北斗七星」掲載だった。そこで僕がふと考えたのは、文語と口語の意味のずれの問題だった。
「文語歌といっても、実質的には『文語的疑似文体』なのではないか」と。
「悪しき夢見し」は、「いろは歌」の「あさきゆめみし」のリズムが無意識に出たものだった。「いかん」もそうだが、自分の頭の中の引き出しに入っている言葉が作品にあらわれるものだと、あらためて思う。