・あたらしき年のはじめは楽しかりわがたましひを養ひゆかむ・1931年「石泉」
・おとろふる吾のまなこをいたはりて目薬をさすしばだたきつつ・1932年
・納豆を餅(もちひ)につけて食(を)すことをわれは楽しむ人にいはぬかも・1934年「白桃」
・餅のうへにふける青黴(かび)の聚落を包丁をもて吾けずりけり・1939年「寒雲」
・白き餅われは呑みこむ愛染(あいぜん)も私(わたくし)ならずと今しおもはむ・1941年「霜」
・過去にして円(まど)かなる日日もなかりしが62歳になりたり吾は・1943年「小園」
・おのずから63になりたるは蕨うらがれむとするさまに似む・1944年
・われつひに69歳の翁にて機嫌よき日は納豆など食む・1950年「つきかげ」
斎藤茂吉の「新年の歌」を集めた。
一首目。上の句だけならただの挨拶だが、下の句に独自性がある。「魂をやしなって行こう」。
二首目。「老い」を感じる新年。二句目以降のありようが愚痴になるのを防いでいる。自己をいとおしんでいる。
三首目。茂吉はよほど納豆や納豆餅が好きだったらしい。作品のなかに幾度も出てくる。「ともしび」の中に、火災の焼け跡で納豆餅を喰う作品があるが、ありあわせのものを食べたのではなく、癒されていたのだろう。この作品は年の暮れに餅を食べているのだ。新年が待ち切れなかったのかも知れぬ。
四首目。「愛染」は煩悩のことだが、男女の愛情に使われることもある。この場合は煩悩だろう。「もう煩悩に悩む年齢ではなくなった」と自分に言い聞かせている。
五首目・六首目・七首目。昔は「数え」で年齢をあらわした。誕生して1歳。そのあと新年を迎える度に1歳ずつ増して行く。(12月31日生まれの子は翌日には2歳となる。)新年に年齢を重ねていくという思いが強かったのだろう。60歳を過ぎてからこうした作品が見え始める。当然「残生」も思っていたに違いない。
さて今年も年賀状を沢山頂いた。さまざまな人からさまざまな内容のものだった。
先ずは短歌関係者。昨年出した「オリオンの剣」の反響あり、病気見舞いあり、ブログの内容に関するものあり。なかには、このブログの記事を「斎藤茂吉辞典」のように読んでいる人もいた。
次に学校時代の友人たちからのもの。幼稚園時代からの付き合いの人もいる。やはり病気見舞いが多かったが、なかには「いい仕事」をしていると言外に判るものもあった。懐かしくもあり、嬉しくもありだ。
それから様々な分野の研究者の方からのもの。このブログの「歴史に関するコラム」や「身辺雑感」に関してのコメントが書いてあった。記事の内容がNGOの活動のお役にもたっているらしい。
最後に年賀状のかわりに歌集を送って来られた方もいて、早速返事を書いた。
年1回の挨拶。もう何年もあっていないのに「今年もよろしく」という。20代のころはこれに抵抗があったが、ようやく意味がわかった。つまり「今年もお互いにがんばろうぜ」「今年もそれぞれの生きている場でがんばりましょう」ということだ。
ローマ神話にロードス島の話がある。
「ロードス島では誰もが空を飛べる。行きたいなあ。」
「ここで飛んでみろ。」
ただそれだけだが、人は自分が生きているところで踏みとどまるしかない。そこで様々な感情を持ちながら生きているから人間なのだ。
今年も年賀状が作歌意欲を刺激し、僕にとってのよき薬となったようだ。