・あたたかに冬日さすとき老いづきし項(うなじ)の汗をわびしむわれは・
「群丘」所収。1961年(昭和36年)作。
佐太郎の自註。
「汗ばむほどの冬の晴れた日、首すじあたりににじむ汗をわびしく感じている。汗はどこに出ても汗だが、たとえば、掌の汗、背筋の汗、額の汗など、それぞれ感じが違う。私は項の汗を老醜として感じたが、『冬日』の経験として表白したところに特殊性があるだろう。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)
たしかに汗は場所によって印象が違う。掌の汗は切迫感、背筋の汗は冷たさ、額の汗は労働をというように。
項は汗をかきにくい所だが、老いて前かがみになっているので、日が当たるのだろう。当たれば汗をかく。それを佐太郎は「老いの醜さ」と捉えた。ひとつの発見だ。
だが一首には不思議な透明感がある。初句・二句の働きだろう。「あたたか」「冬日」という語感のせいだろう。それで「老いづきし」という語があるにもかかわらず、老人の愚痴になっていない。「美しい」のである。人に不快感を与えない。
この年、佐太郎は51歳だが「老い」を初めて感じたのだろう。その驚きが作者をして「老醜」と言わしめた。だが「老臭」はしない。そこが一番の特徴だろう。佐太郎の「老いの歌」が目立ち始めるのは、1966年昭和42年末から翌年にかけて、入院して越年したあとだから、冒頭の一首の時期のあと「老い」を受け入れたのだろう。
茂吉の場合「老い」の歌は気力の衰えが目立つが、佐太郎は死の直前まで気力の衰えを感じさせない。ここも茂吉との違いだろう。
「老いの歌」は高齢者の自画像だが、岡井隆はこう言う。
「短歌による自画像というのは、あくまで散文とは違う方法で構成されているはずです。極端なことをいえば、意味内容以外の、言葉の響きとか一首のリズム韻律といった要素によって、ごく抽象的に、自分の内面を画きとって行く作業だとも言えます。」(岡井隆著「歌を創るこころ」)
冒頭の一首の「語感」の美しさは、この「言葉の響き」の美しさだろう。