岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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辛夷のつぼみの歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月13日 21時42分02秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・あらあらしき春の疾風(はやち)や夜白く辛夷のつぼみふくらみぬべし

「さるびあ街」所収。

先ずは歌意から。

「あらあらしい春の強い風が吹いている。そういう夜に辛夷の蕾はきっと膨らみつつあるのだろう」

 この歌集は作者が結婚に失敗して離婚した時期の心情をテーマにしている。一首から感じ取られるものは、「深い悲しみと、めげまいとする心の強さ」。

 作品中の「あらあらしき」「春の疾風」「夜」が波乱のなかでの深い悲しみを象徴的に表現し、「ふくらんでいるであろう辛夷のつぼみ」が象徴的に秘めた決意を表現している。

 佐藤佐太郎の作風は「象徴的技法を駆使した写実歌」と岡井隆に評されているが、それを引き継ぐ表現法だ。佐太郎との違いは、強さと鋭さがあること、これは作者の資質によるものだろう。

 表現方法が同じでも、作者個々人の資質によって作風は変わってくる。これが作者の独自性だ。他人のやらない珍しいことをやるから独自性があるのではない。現代の歌壇では、そこを誤解している歌人が少なくないのではないか。

 自分の独自性は何処にあるのか、そこにたどり着くのが難しい。この尾崎左永子の独自性を暗示しているのが佐藤佐太郎の序文。

 「今後松田さん(尾崎の旧姓)才能は、どのように発展してゆくのだろうか。『さるびあ街』という書名に見られるような才気が、底の方にしづむのがよいか、よくないか、それは私にもよくわからないが・・・。」

 この才気ある資質が尾崎左永子の独自性である。このカテゴリーに、長澤一作、川島喜代詩という尾崎左永子の兄弟子、佐藤佐太郎の弟子の歌を若干載せたが、同じ佐太郎門下でも作風が異なる。これを確かめて頂きたい。

「星座調」「尾崎調」などはあり得ない。それを感じている人は、自身の独自性に気づいていないか、自身の資質をまだ自覚していないのではないかと思う。





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