・あらあらしき春の疾風(はやち)や夜白く辛夷のつぼみふくらみぬべし
「さるびあ街」所収。
先ずは歌意から。
「あらあらしい春の強い風が吹いている。そういう夜に辛夷の蕾はきっと膨らみつつあるのだろう」
この歌集は作者が結婚に失敗して離婚した時期の心情をテーマにしている。一首から感じ取られるものは、「深い悲しみと、めげまいとする心の強さ」。
作品中の「あらあらしき」「春の疾風」「夜」が波乱のなかでの深い悲しみを象徴的に表現し、「ふくらんでいるであろう辛夷のつぼみ」が象徴的に秘めた決意を表現している。
佐藤佐太郎の作風は「象徴的技法を駆使した写実歌」と岡井隆に評されているが、それを引き継ぐ表現法だ。佐太郎との違いは、強さと鋭さがあること、これは作者の資質によるものだろう。
表現方法が同じでも、作者個々人の資質によって作風は変わってくる。これが作者の独自性だ。他人のやらない珍しいことをやるから独自性があるのではない。現代の歌壇では、そこを誤解している歌人が少なくないのではないか。
自分の独自性は何処にあるのか、そこにたどり着くのが難しい。この尾崎左永子の独自性を暗示しているのが佐藤佐太郎の序文。
「今後松田さん(尾崎の旧姓)才能は、どのように発展してゆくのだろうか。『さるびあ街』という書名に見られるような才気が、底の方にしづむのがよいか、よくないか、それは私にもよくわからないが・・・。」
この才気ある資質が尾崎左永子の独自性である。このカテゴリーに、長澤一作、川島喜代詩という尾崎左永子の兄弟子、佐藤佐太郎の弟子の歌を若干載せたが、同じ佐太郎門下でも作風が異なる。これを確かめて頂きたい。
「星座調」「尾崎調」などはあり得ない。それを感じている人は、自身の独自性に気づいていないか、自身の資質をまだ自覚していないのではないかと思う。
