小学生の低学年の頃、僕は読書がそんなに好きではなかった。先生や家族は相当苦労したらしい。先に教室でのひとコマを記事にしたが、読書をはじめたきっかけが二つばかりあったので、ここに書こうと思う。今度は家族内のことだ。
その一。あるとき何の拍子か父親と二人で本屋に行く機会があった。何でふたりきりだったのか、どこの店だったか忘れてしまったが、かなり大きな店だった記憶がある。おそらく、駅ビルか何かに入っているテナントだったような気がする。
小学生向けの書棚の前で父が言った。
「おい。読みたい本はないのか。何でも買ってやるぞ。」
何でもと言っても、本を選んだ経験がなかったので戸惑った。そこで目の前の本に手を伸ばした。書名はハッキリ覚えている。
「世界を驚かした10の発明」
親としては物語か何かを選ばせたかったのだろうが、父はそれには触れずこういった。
「ついでだからこれも読んだら、おもしろいぞ。」
それは僕の選んだ本の姉妹版で、「世界を驚かした10の発見」。発明と発見がどう違うかよく分からないまま買ってもらった。
どちらから読んだのかは憶えていないが面白かった。「発明」のほうは、エジソン・ノーベルのほか、ロケットを発明したブラウン。ロケットが第2次大戦中イギリス攻撃に使われていたことが、やけに心に残った。科学の戦争利用の問題を初めて考えたのがこのときだった。「発見」のほうは、ダーウィン・パスツールなどだった。短かったが、伝記20冊分読んだ気分だった。
そのニ。兄の書棚からこっそり持ち出した本。書名は「僕の村は戦場だった」。病院の待合室にも持っていくほど熱中して読んだ。高校生が読む本だったから、小学生には難しかったが、印象深かった。
舞台はヨーロッパ。自分の意志とは関係なく村が戦争に巻き込まれ、人々が死んでいく。理不尽だと思った。爆弾の雨をくぐりぬけて生きようとする人間のつよさも心に残った。自分の村が空襲を受けて、その煙を見て必死にその煙のほうに走っていく主人公の姿が目に見えるようだった。
ある時、兄が訊ねた。
「今まで読んで面白いと思った本はないのか。」
「うん。< 僕の村は戦場だった >は面白かった。」
「お前、あれ読んだのか。」
「うん。」
「難しくなかったか。」
「難しかったよ。けど面白かった。」
どこがどう面白かったのか聞かれたら、答えられなかっただろう。しかし、兄は何も言わずに、僕の部屋(正確に言えば廊下の隅)に行った。そこには兄のお下がりの児童書があった。
「ここのシリーズを読んでみろ。きっと面白いから。」
一冊の本が渡された。読んでみた。面白かった。
そのシリーズの20冊ばかりの本のうち、半分ほどには非常に面白かった。残りの半分は好みに合わなかった。
やがて中学へ入学。何とそのシリーズ本が学校の図書室に並んでいた。気に入ったものは全部読んでいたが、手にとって見た。するとそのシリーズの本を熱心に借りている女の子がいた。僕が読まなかった本を、まるで選んだように借りていた。
「なるほど。人によって好みが違うのは、当たり前なんだ。」と思った。
その時、僕の興味は歴史書に移っていた。そして、高校・大学と読書の傾向はかわっていった。
読書を好まない子供が本に興味を持つのには、そういうきっかけが必要なのだろう。