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岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

齊藤茂吉45歳:紅葉を詠う

2010年06月16日 23時59分59秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
・さむざむと時雨は晴れて妙高の裾野をとほく紅葉うつろふ・

 「ともしび」所収。1927年(昭和2年)作。

 先ずは茂吉自身の言葉より。
「紅葉も色寂しくなってゆく。すがれてゆく。その移りを< うつろふ >と据ゑたのであった。」(「作歌四十年」)
 「据えた」は「捉えた」の誤植あるいは誤字と思うが、「時間的経過」を捉えていることに眼目がある。また、「裾野をとほく」によって「遠近感」を表している。「さむざむと」という口語的発想も茂吉独自というか、茂吉好みである。

 佐太郎の紅葉は、

・もみじ葉の重きくれなゐ一木たち昼まへ晴れて昼すぎ曇る・(「帰潮」)。

すでに書いたが「重きくれなゐ」が、詩的把握の中心であり、下の句が対句となって「時間的経過」を捉えているところに特徴がある。しかも、上の句が「もみじ葉」であり、下の句が「天候」である。下の句の天候が「上の句」の背景となっているともとれるが、ふたつのものを詠み込むことによって、一つの印象を際立たせているとも言える。

 「ふたつのものを関連付けるのが、詩の方法である。」

 これは佐太郎の言葉であるが、「漢詩」からの影響であるとみずから語る通り、茂吉に比べ、「対句」という表現技法の進展がみられる。

 その意味で茂吉の方が立体的かつストレートである。茂吉の作品にも「対句」はあるが、佐太郎ほど明確でない。「ふたつのものを関連づける」のは、「赤光」の作品群にみられるが、それを違ったかたちで佐太郎が受け継いだと言えるだろう。








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