・さむざむと時雨は晴れて妙高の裾野をとほく紅葉うつろふ・
「ともしび」所収。1927年(昭和2年)作。
先ずは茂吉自身の言葉より。
「紅葉も色寂しくなってゆく。すがれてゆく。その移りを< うつろふ >と据ゑたのであった。」(「作歌四十年」)
「据えた」は「捉えた」の誤植あるいは誤字と思うが、「時間的経過」を捉えていることに眼目がある。また、「裾野をとほく」によって「遠近感」を表している。「さむざむと」という口語的発想も茂吉独自というか、茂吉好みである。
佐太郎の紅葉は、
・もみじ葉の重きくれなゐ一木たち昼まへ晴れて昼すぎ曇る・(「帰潮」)。
すでに書いたが「重きくれなゐ」が、詩的把握の中心であり、下の句が対句となって「時間的経過」を捉えているところに特徴がある。しかも、上の句が「もみじ葉」であり、下の句が「天候」である。下の句の天候が「上の句」の背景となっているともとれるが、ふたつのものを詠み込むことによって、一つの印象を際立たせているとも言える。
「ふたつのものを関連付けるのが、詩の方法である。」
これは佐太郎の言葉であるが、「漢詩」からの影響であるとみずから語る通り、茂吉に比べ、「対句」という表現技法の進展がみられる。
その意味で茂吉の方が立体的かつストレートである。茂吉の作品にも「対句」はあるが、佐太郎ほど明確でない。「ふたつのものを関連づける」のは、「赤光」の作品群にみられるが、それを違ったかたちで佐太郎が受け継いだと言えるだろう。
