・わが心に何のはずみにかあらむ河上肇おもほゆ大鹽平八郎おもほゆ・
「白桃」所収。
この歌だけでは「河上肇」「大鹽平八郎」をどうして茂吉が詠ったのかは分からない。しかし、これは茂吉が「戦争の足音を聞いた歌」だと僕は考えている。
1933年(昭和8年)の作である。満州事変はすでに始まっていたが、年表風にすると次のようになる。
1930年(昭和5年):浜口雄幸首相暗殺。米価暴落・失業者40万人。
1931年(昭和6年):満州事変。軍部のクーデター発覚(3月事件・10月事件)
1932年(昭和7年):日本ファシズム連盟成立。前蔵相・井上準之助暗殺。
1933年(昭和8年):日中両軍、山海関(満州と華北の境界)で軍事衝突。
この時期に「河上肇」「大塩平八郎」を不意に思ったというのだ。河上肇は「貧乏物語」で有名な経済学者。治安維持法違反でとらえられている。大塩平八郎は天保の飢饉にあたって江戸幕府に反旗をひるがえした大阪奉行所の元与力。この歴史的背景が、作品の裏にかくれているように僕は感じるのである。
戦争体制が確立しつつあるなかで、自分はどう身を処すべきか不意に思ったとは読めまいか。作品としては余り知られていないが、「激しさを増す戦争」という現実を前にした作者の心情がほのめかされている。それとなく言わなければ身に危険が及ぶ時代が始まろうとしていた。